研究課題/領域番号 |
18K00329
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研究機関 | 東海大学 |
研究代表者 |
堀 啓子 東海大学, 文化社会学部, 教授 (60408052)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 尾崎紅葉 / 黒岩涙香 / Bertha M.Clay / Charlotte M.Brame / cheap editions |
研究実績の概要 |
本課題研究の三年目となった当該年度は、まず従来年度に引き続き『東海大学紀要 文化社会学部』に連載している、Charlotte M. Brame 原著の長編小説 Dora Thorne の分載翻訳を続けた。直訳に徹してのこの翻訳は連載十九回目に及び、この長編の半ばは訳し終えた。その結果として、明治二十年代初めにこの作品の翻訳として出版された『谷間の姫百合』と、廉価版小説であったこの原作との相違部分がいくつも認められるようになり、それらが意識的に改変されたものであることが、鮮明になった。 『谷間の姫百合』は、明治二十年代初めの翻訳としては画期的なものであり、概ね原作に忠実な翻訳である。ただ現代のような逐語訳ではなく、原作との相違点もあるが当時の文士たちはそれを〈翻訳〉と総称していた。『谷間の姫百合』の〈翻訳〉を手掛けた末松謙澄は、この作品の言語である英語を日本語に置き換えていく過程において『女大学』的な方向性をヒロインに塗り重ねており、そこには思想的にも翻訳作法的にも同時代の文士たちに共通する傾向が見えてくる。本研究ではそうした意図的な改変が施された背景を徐々に明らかにし得ている。 また、『尾崎紅葉事典』(翰林書房 令和二年十月 刊)において、【解説編】「紅葉と外国文学」及び、フランス文学の翻訳である『鐘楼守』を初めとする幾つかの項目の執筆を担当した。そこで尾崎紅葉が廉価版洋書をもとに翻訳や翻案を公表していた点について言及した。紅葉作品に関しては、同時代の彼と深い関わりがあり、現在まで歴史を重ねている出版社・春陽堂との関わりを、同社のホームページ上で連載もしている。 さらに、廉価版のレーベルにも所収されていたワイルドが、三島由紀夫の作品に影響を及ぼした点について『東京新聞』(2020年11月18日)に「三島由紀夫没後50年に寄せて」において言及した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
申請者は研究目的と研究計画に照らし、本年度はおおむね順調に研究が進展していたと認識している。この判断基準は、以下に挙げる三つの点に関する自己点検に拠るものとする。 第一に、上記の概要の項目でも言及したが、Charlotte M. Brame 作のDora Thorneの翻訳を、前年度までのペースを崩すことなく続けられたことが挙げられる。原作の Dora Thorne は、三世代にわたるある一族の物語を綴った長編小説であるが、この作品の前半部分の翻訳が完了したことにより、謙澄の『谷間の姫百合』との比較を可能とした。 第二に、尾崎紅葉の翻案手法を様々な角度から再認識し、研究をまとめて公表する機会を得られたことである。上記でもふれたが『尾崎紅葉事典』の【解説編】では、「紅葉と外国文学」と題して、紅葉の代表的な作品と廉価版洋書小説との関わりについて発表することができた。 第三に、同『尾崎紅葉事典』において担当した執筆項目のひとつ『鐘楼守』について、原作と紅葉の翻訳との関わりを再認識し、まとめ直すことができた点である。『鐘楼守』の原作はフランスの文豪、ヴィクトル・ユゴーによる『ノートルダム・ド・パリ』である。だが、紅葉はフランス語は学んでいなかった。そのため、フランス語から英語に直された原書を参照するという、重訳本を使用しての翻訳作業となったことも確認している。またこの翻訳は実際には、フランス語に堪能であった長田秋濤の力による部分も大きい。そのため、ここに共著・共訳の問題も浮上するが、根本的には原書が廉価版小説のレーベルにあったということ、すなわち廉価版と認識されていたことが、絡み合ってくることも整理し得た。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、まず昨年度および一昨年度の年度末に予定していたが、コロナウィルス感染拡大防止の観点から物理的な移動が難しく、現地調査のできなかった国内外の図書館や資料館を訪れ、調査を行うことを目標とする。さらに、明治時代もしくは大正時代に創立され、同時代に洋書の輸入に積極的であった、相当の歴史を有する各地の古書店をも訪れることで、当時のカタログや目録などを確認していく。 そして今後の研究の推進方策として、上記で入手し得た資料と、昨年度までに収集した資料の整理と分析を並行して行うことを予定している。 当時の文士たちは、創作の際に、廉価版洋書をその〈下敷き〉の用途で用いることが少なくはなかった。そこにためらいがなかったのは、やはり原著が廉価版であったことによると思われる。泰西の文学に関する情報がまだ充分に行き渡っていなかった時代に、日本の文士たちは「廉価版のレーベルに所収されていること」、イコール、「無名作家の通俗的小説」という分類法を見いだし、そうした作品を文字通り切り貼りして自作に織り込んでいくことに、何の躊躇も見せなかったのである。 ただじっさいには、玉石混交の廉価版洋書のシリーズには、いわゆる〈文豪〉の名著も所収されていることもあり、結果的にそうしたすぐれた原著作品を翻訳や翻案の原案として、日本の文士たちが手軽に使用することも多かった。だが結果的にそうした流れが、日本の近代文学のひとつの流れを象ることになったのである。そうした背景について今後の研究でさらに深く掘り下げていくことを予定している。
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次年度使用額が生じた理由 |
コロナウィルス感染拡大防止の観点から、予定しておりました国内外の図書館や資料館、古書肆への出張を自粛しましたために出張旅費やそれに伴う調査費の出費を要さなかったのが主たる理由です。 次年度に、上記の出張による調査を実施致したく、そこで昨年度使用できなかった出張費用もしくはそれを補填しうる資料購入費として使用させて頂きます。
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