研究課題/領域番号 |
18K00344
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研究機関 | 東北大学 |
研究代表者 |
佐竹 保子 東北大学, 文学研究科, 教授 (20170714)
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研究分担者 |
齋藤 智寛 東北大学, 文学研究科, 准教授 (10400201)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 中国文学 / 中国思想 / 漢訳仏典 / 禅の語録 / 詩の注釈 / 六朝時代 / 唐代 |
研究実績の概要 |
研究代表者の佐竹保子と研究分担者の齋藤智寛は、ともにそれぞれ2篇の論稿を、学術雑誌『關西大學 中国文學會紀要』39号、『集刊東洋学』120号、『中国俗文化研究』15号等に発表した。 佐竹「『旧唐書』音楽志訳注稿(四)」は、945年に成立した『旧唐書』音楽志の訳注を作成したもので、その過程で、仏教関係の語彙との類似や相違を考究した。また、佐竹「謝霊運「華子崗に入る是れ麻源の第三谷なり」詩末聯と胡克家と郭慶藩」は、謝霊運(385~433)の「華子崗に入る是れ麻源の第三谷なり」詩の末聯冒頭の一語「恒」について、清代の文選学者胡克家(1756~1816)の見解とそれを踏襲し続ける現代に至るまでの研究者たちの説、および、それらと対立する、清代の莊子学者郭慶藩(1844~1896)の説を紹介した。郭慶藩の説は、『莊子集釋』という思想書に短く記されるため大きく取り上げられることがなかったが、しかし郭説は、じつは謝詩の読解に深く関与していることを立証し、胡克家以後の説よりもはるかに妥当性を有していることを示した。郭慶藩はもとより仏典にも深い造詣を持っており、そこから作品を洞察している。 齋藤「五代宋初仏教史書閲読札記」は、五代宋初(10世紀前半から中頃まで)の仏教史料からその語彙を探究し、齋藤「鄭愚「大ギ山大円禅師碑銘」考」は、晩唐(9世紀から10世紀初)の士大夫が禅師に対して書いた碑銘の文章から、伝統的な語彙に織り込まれる禅仏教の語彙を考究した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
研究代表者佐竹保子は、招待講演として「熟成する七律──揺らぐ器に盛る「言い難き」もの」を発表し、杜甫(712~770)の七言律詩から李商隠(812~858)の七言律詩に至って、詩語にも詩想にも仏教的観念が大量に盛り込まれるようになったことを示し、それが七言律詩という形を採ったことの必然性を語っている。 研究分担者齋藤智寛は、「《続高僧伝・訳経篇》所見三教争論材料二則」と「《続高僧伝》感通篇と禅仏教」を、どちらも国際学会で発表し、僧侶の道宣が645年に完成したとされる『続高僧伝』とその中の言葉を取り上げて検討している。 いずれも、来年度以後の論文に生かされるはずである。
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今後の研究の推進方策 |
今年度に引き続き、研究代表者の佐竹保子は、おもに詩文作品の方面から、研究分担者の齋藤智寛は、おもに仏典や禅語録の方面から、詩文と仏典・禅語録との、顕在的潜在的関わりについて考究する。もとより、今まで通り、佐竹は仏典や禅語録等も自己の研究範囲に含めているし、齋藤も詩文作品をよく検討している。それとともに、双方の新たな知見を可及的速やかに交換しあい、共有する方策を取る。 研究計画は変更しない。また、研究を遂行する上での解決困難な課題も今の所見つかっていない。
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次年度使用額が生じた理由 |
研究代表者の佐竹保子は、2018年度が定年退職の年であり、物品費と旅費を使う時間に恵まれなかったことが、最大の理由である。また、関連する学会・研究会がおもに仙台で開かれ、出張費を大幅に使う必要が生じなかったことも、理由に挙げられる。 2019年4月1日から、研究代表者は東京の大東文化大学に特任教授として赴任し、住居も埼玉県に移った。このため、研究分担者齋藤智寛との研究打合せに、旅費を2018年度以前より多く使用する計画である。また、新に所属した大学での不足書籍の購入や、パソコンやプリンタの買い換えのために、物品費を多く使用する計画である。
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