研究課題/領域番号 |
18K00347
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研究機関 | 一橋大学 |
研究代表者 |
星名 宏修 一橋大学, 大学院言語社会研究科, 教授 (00284943)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 植民地 / ハンセン病 / 台湾 / 楽生院 / 『万寿果』 |
研究実績の概要 |
本研究は、日本植民地期の台湾で創作されたハンセン病患者の文学創作を考察するものである。先行研究がほとんど存在せず、基礎的な資料収集から始める必要があった。2018年度は最も重要な資料である楽生院慰安会の機関誌『万寿果』を長島愛生園で収集することができた。 その成果をもとに、2019年度は2回の研究発表を行った。1回目は一橋大学大学院言語社会研究科の韓国学研究センターと韓国の延世大学校近代韓国学研究所HK+事業団が開催した「第1回国際学術シンポジウム 人文学研究の知的基盤省察と東アジア学-近代学問と知識人」(2019年6月22日)において行った「植民地台湾で癩を病む/詠む」と題する発表である。1940年に内田守人が編集した『療養秀歌三千集』という短歌集を取り上げ、そこに収録された植民地台湾のハンセン病患者の創作を論じた。 2回目は、中国文芸研究会10月例会(2019年10月27日)の「救癩戦線は御歌とともに-1940年代の『万寿果』を読む」である。太平洋戦争下の『万寿果』に焦点をあて、療養所のなかで戦争がどのように表現されたのかを論じた。 上記の研究発表のほか、本年度は2本の論文を刊行した。1本目は『日本台湾学会報』第21号に掲載された「植民地台湾の「癩文学」を読む-宮崎勝雄のテクストを中心に」である。2018年度の日本台湾学会学術大会での報告をもとに、加筆訂正を行い、楽生院の入所者であった宮崎勝雄のさまざまな創作を論じた。 もう1本は、台湾の国立台湾大学台湾文学研究所の紀要『台湾文学研究集刊』第22巻に掲載された「1930年代植民地台湾の「癩文学」を読む-雑誌『万寿果』における本島人の作品を中心に」である。ここでは『万寿果』に掲載された台湾人入所者の創作を論じた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2018年度のうちに、本研究の遂行にあたって最も重要な雑誌の『万寿果』雑誌を収集したことにより、1940年代の台湾におけるハンセン病文学を読むことができるようになった。 「研究実績の概要」でも述べた、研究発表、中国文芸研究会10月例会(2019年10月27日)の「救癩戦線は御歌とともに-1940年代の『万寿果』を読む」(中国文芸研究会10月例会、2019年10月27日)は、長島愛生園で収集した資料があってはじめて論じることが可能になった。 また東村山市にある国立ハンセン病資料館に定期的に足を運び、図書室に収蔵された膨大な資料にも助けられている。日本国内の療養所の文献資料をほぼ網羅しており、戦前の台湾でのハンセン病文学を考察するにあたっては、同時期の「内地」での文学動向も理解することができる。『療養秀歌三千集』の研究発表にあたっては、同館の豊富な資料を利用できたことが大いに役立っている。
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今後の研究の推進方策 |
2020年度は5月末に開催される日本台湾学会で、「頂坡角から武蔵野へ-小崎治子の「癩短歌」を読む」と題する研究発表を行うことが決まっており、すでにフルペーパーを提出した。この報告をもとに、正式な論文として発表することを当面の課題とする。小崎治子も昨年論文でまとめた宮崎勝雄も、植民地台湾のハンセン病文学の領域では活躍した患者であるが、北条民雄や明石海人など内地の「著名」な作者と比べると絶対的に「無名」の存在である。 2020年度は植民地の療養所で作品を残した「無名」の書き手たちの固有性・独自性を明らかにすべく、さらに青山純三や武田史郎などについても研究を進めたい。 また太平洋戦争期の台湾のハンセン病文学についても論文としてまとめる作業を行う。
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次年度使用額が生じた理由 |
沖縄愛楽園への資料収集を予定していたが、スケジュール調整がうまくいかず見送ったために次年度使用額が発生した。 台湾の楽生院には多くの沖縄出身者が入所しており、愛楽園に引揚げた者も多い。すでに亡くなって入所者が多数であるが、愛楽園が所蔵する刊行物にはさまざまな記録が残されているという。コロナウイルスの流行のため、今年度も出張に行くことができるかどうかは不確定であるが、東村山市にある国立ハンセン病資料館の資料を活用することで対応したい。
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