続書のうち『水滸後伝』に関しては、まず清初の原刊本に見られるテキスト間の関係や特徴等について、先行研究の論点も整理したうえで、調査分析によって得た新知見も加味した論考を発表した。これによって『水滸後伝』が原刊本だけでも当時好評を博し、ロンドン本>筑波本>早稲田本>天理本のように、最低でも四回は刊行・増刷を重ねたことなどを実証的に明らかにした。 またその内容は、やはり清初の『後水滸伝』ともども梁山泊に同情的であり、その点では明末清初の金聖歎による七十回本や清代後期の『蕩寇志(結水滸全伝)』、さらには清代前期の『存廬新編宣和譜(翻水滸記)』や清代中期の『忠義<王+旋>図』と異なる。しかし『水滸伝』そのものにおける祝家荘故事を手がかりとして、『水滸後伝』も『宣和譜』『蕩寇志』もいずれもその影響を受けており、単純に思想的観点だけで二大別するのは実態に合わない面があることを指摘した。 『水滸伝』そのものに関しては、容与堂本のうち従来は情報が少なく且つ錯綜していた中国社会科学院文学研究所蔵本について、調査分析の結果概要を明らかにした。このテキストは残念ながら完本ではないが、先日亡くなられた高島俊男氏がかつて「一番いいテキスト」と評した「北京B本」すなわち北京の中国国家図書館が所蔵し影印本も普及している完本(研究代表者は「北図本」と呼んでいる)と全くの同版と考えられ、かつ「庚戌」つまり万暦38年(1610)の紀年をもつ序文を概ね保存している点で北図本と相補う関係にあると認められる。これによって1610年という年代観を、後印本でありながらその序文をもつ内閣本に適用する必要は無くなるし、このテキストが内閣本と同版であるが如き誤解を解消することもできた。
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