明清の士大夫が自ら筆を執って亡妻(亡妾)を哀悼した散文、すなわち亡妻(亡妾)行状・亡妻(亡妾)墓誌銘・祭亡妻文を中心に、明清の哀悼文学の特徴を考察した。中国の文人が亡妻を哀悼するために自ら書いた墓誌銘や祭文は、中唐や晩唐の文人の文集にすでに見えるが、この時点で一般化していたとはいいがたい。文人が自らの家の中の女性を描写することは、儒教的なの規範を逸脱した行為だったからである。しかし、宋元を経て明清には亡妻のための哀悼散文が流行する。 明清の文集を所蔵する国内外の機関で亡妻哀悼散文の悉皆調査を行い、その調査結果をもとに本研究に関する計4本の論文を公表し、明清の亡妻哀悼散文に関する以下の特徴を明らかにした。①亡妻哀悼散文の量的拡大。明清には前代と比べて亡妻哀悼散文がよく制作され、妻に先立たれた明清の文人は必ずといっていいほど墓誌銘や祭文を執筆する傾向にあること。②亡妻哀悼散文の文体の多様化。明の中期以降には亡妻を哀悼するための文体として墓誌銘に加えて「行状」という本来は男性を顕彰するための伝記文の文体が用いられるようになり、長篇化したこと。③描写の細やかさ。明清の哀悼散文は前代と比べて、亡妻の思い出や日常生活の描写がいっそう細やかなものになった。④哀悼の対象の拡大。哀悼の対象が亡妻にとどまらず亡妾へも広がり、亡妾墓誌銘や亡妾行状も制作されるようになった。なお、こうした亡妻哀悼文学の発展の背景として、明清の文人社会の間で夫婦の情に共感する心性が醸成されていたことも指摘した。ただ、当初の計画では、研究終了後には論文集を刊行する予定であったが、コロナ禍により国内外での出張調査がままならない時期があり、全体の資料蒐集が遅滞し、論文集の公刊は次年度以降に見送らざるを得なかった。その代わりに、このテーマに近接した領域の論文1本を発表した。
|