中国の文人が亡妻を哀悼するために自ら書いた墓誌銘や祭文は、中唐や晩唐の文人の文集に散見されるが、この時点で一般化していたとはいいがたい。文人が自らの家の中の女性を描写することは、儒教的な礼の規範を逸脱した行為だったからである。しかし、明になると、妻に先立たれた文人は必ずといっていいほど墓誌銘や祭文を執筆するようになる。さらに明清には亡妻を哀悼するために、本来は男性を顕彰するための伝記文だった「行状」という長篇の散文も用いるようになる。哀悼の対象も亡妻から亡妾へと拡大した。こうした亡妻哀悼文学の発展の背景として、明清の文人社会の間で夫婦の情に共感する心性が醸成されていたことを明らかにした。
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