研究課題/領域番号 |
18K00361
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研究機関 | 東海学園大学 |
研究代表者 |
松尾 肇子 東海学園大学, 人文学部, 教授 (20202319)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 康与之 / 柳永 / 高宗 / 秦檜 / 雅詞 / 雅楽 |
研究実績の概要 |
康与之は、字を伯可、号を順庵といい、河南の人である。北宋から南宋にかけて生きた官僚であり詞人である。北宋滅亡の混乱期にあっては主戦論を支持する献策をして名をはせたが、秦檜の知遇を得てからは彼におもねって生涯を終えた。 高宗に推薦され、拉致されていた韋太后が金国から帰国後は、皇帝母子が共に過ごす時には応制詞を作り非常に流行した。彼が藉田令に任命されたのは、おりしも北宋滅亡によって失われた雅楽復興の最中、紹興十五年まさに雅楽の基準音高を定めた鐘が完成し、南宋初の籍田の礼が行われた時に当たる。彼は迅速に雅楽の歌詩を作ったと伝えられ、この時期の雅楽復興に深く関わっていたと考えられる。私的には秦檜の宴会で必ず楽語、詞曲を作ったと伝えられ、音楽に詳しく即興性に優れていたことが分かる。また、彼は駢文に優れており、対句の巧みさは彼の詞からも十分にうかがうことができる。その措辞は文雅であり、当時の雅詞尊重の風潮にかなうものでもあったのである。 一方で私的な詞では、表現に相当の幅がある。懐古詞の一群は伝統的な士大夫の措辞に則る。ところが艶詞については教坊の楽工や市井の芸人に比較されるほど評価が低い。使用される語彙が鄙俗なわけではないのだが、代言体を用いたり露骨ともいえる女性の描写がなされたりするからであろう。しかしテーマや表現によらず、彼の詞は、最晩年の数首を除いて詞序を持たず、総じて一般性が高いと感じられる。つまり彼は個人的心情をほとんど詞に詠じない。あるいはそうしたものは残らなかった。このように一般化されたことによって、流行歌曲としては絶大な人気を博すことになったとも考えられる。彼は士大夫的雅詞を念頭において作詞しているが、歌辞文芸としての完成を目指す態度は、文人詞へ踏み出すものでもあると評価できるのではないでだろうか。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
一年目の課題は二本の文章にして日本詞曲学会学会誌および勤務先紀要に公刊した。二年目の課題は発表を申し込んでいた学会がコロナウィルス拡大に対応して延期となったためまだ公に発表できていないが、脱稿しているので今年度中に公刊できる。最終年度である今年度の課題についての論点の見通しはあるが、今般の状況下で図書館等の調査などに着手できず、また参加を予定していた中国での学会が開催されない模様である。
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今後の研究の推進方策 |
中国での国際学会が開催される様子がないため、研究成果の発表は国内誌に投稿し公刊するにとどめることに変更する。緊急事態宣言が解除されるのを待って調査を開始することとし、それまではレビューと読解に力を注ぐ。
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次年度使用額が生じた理由 |
発表を予定していた国際学会が非開催となったため、学会発表のための翻訳や資料作成のために申請していた人件費が未使用となり残額が発生した。次年度、国内学会での発表に切り替え、使用する予定である。
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