柳永は歌辞文芸の詞を飛躍的に発展させたが、放蕩に生きた前半生や俗語なども使用してリアルな人間を描いたことに批判も多い。しかし「冠柳」の評語はその柳永詞に追随した数多くの詞人が存在したことを示す。本研究でとりあげた王観・晁補之・康与之の三人の「冠柳」詞人は、浮沈の激しい官僚人生を送ったが、柳永の後を襲う詞によって士大夫社会で名声を得た。本研究は、雅詞の進展において柳永が残した各種の修辞技法は踏襲され発展したが、具体性が捨象された観念的な人間の描き方になりがちだったこと、また諸芸能と境を接する演唱の果たした役割が小さくなかったことを明らかにできた点で意義を有する。
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