研究課題/領域番号 |
18K00380
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研究機関 | 駿河台大学 |
研究代表者 |
海老澤 豊 駿河台大学, 法学部, 教授 (90298307)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 英詩 / 十八世紀英国 / 民衆文化 |
研究実績の概要 |
本年度はバーレスクの下位区分である「戦闘詩」について2編を分析かつ考察した。「戦闘詩」は古代叙事詩の戦闘場面を模範にしてはいるが、剣を交えるのは英雄ではなく小動物である。叙事詩に倣った高遠な文体で、卑近な小動物たちの戦闘を描くことで生まれる、一種のおかしみを醸し出すことが目的である。 トマス・パーネルが翻案した、伝ホメロスの「蛙と鼠の戦い」は、古くから英国で親しまれてきた作品であり、チャップマンを始めとする詩人たちが英訳してきた。鼠の王子を背に載せて泳ぎ出した蛙が、突然現れた蛇に驚いて水中に潜り、鼠は溺死してしまう。これを機に鼠と蛙の戦闘が繰り広げられるが、ゼウスの介入によって蟹の大群が両軍を退却させる。この作品にはホメロスを鞭打つ者として知られる批評家ゾイラスの伝記と評釈が付されているが、これはパーネルの盟友ポープのホメロス訳を批判したデニスらに対するあてこすりであった。韻文と散文によるメニッポス的な諷刺が垣間見られるのである。 ジョウゼフ・アディソンの「ピグミーと鶴の戦い」も『イーリアス』第3巻冒頭の記述を基にしたもので、さまざまな古代作家たちがこれに触れているが、アディソンは先行作品にはない要素を取り入れている。すなわち以前には誰も扱わなかったピグミー族の全滅と、彼らが死後に妖精に生まれ変わったとする件である。血みどろの激しい戦闘場面とは裏腹に、変身したピグミー族のセカンドライフは極めて牧歌的に描かれている。 2つの作品に共通するのは、叙事詩の英雄と見まごう勇者が登場する点であり、前者では鼠のメリダルパックスが、後者では巨大なピグミー王がそれに当たり、両者はいずれも英雄的な死を迎えることになる。また戦闘場面ではホメロス的な表現が各所に見られ、疑似英雄詩としての要素を十分に備えている。この「戦闘詩」はやがてスポーツやトランプの勝負に置き換えられた「競技詩」に発展する。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度は2編の「戦闘詩」を取り上げ、疑似英雄詩の下位区分としての特徴を大まかに把握することができた。「蛙と鼠の戦い」と「ピグミーと鶴の戦い」はいずれもホメロスを起源としており、ギリシア・ローマの古代作家たちはもちろんのこと、英国の詩人たちにも古くから馴染みのある主題であった。ただしパーネルとアディソンは古い皮袋に新酒を盛るという観点から、それまでには見られなかった要素を取り入れて、自分なりの独創性を獲得しようとしている。 また戦闘場面は『イーリアス』や『アイネーイス』を参考にしたと思われる描写が見られるが、鼠の兜はドングリの殻であり、蛙の兜は貝殻でできているなど、叙事詩の崇高な英雄たちを思わせながらも、小動物たちのいでたちふるまいは卑近なものに貶められている。このような設定は他のバーレスク詩にも引き継がれることになり、たとえば「戦闘詩」から派生したと思われる「競技詩」では、英雄たちの戦闘がスポーツの試合やトランプの勝負に置き換えられており、崇高な文体で卑近な対象を描くという基本的な構造は共通しているのである。 「蛙と鼠の戦い」と「ピグミーと鶴の戦い」については、どちらも『駿河台大学紀要』に研究ノートという形で小論を発表済みであり、初年度としてはまずまずの成果を上げることができたと思われる。 「戦闘詩」に続いて「競技詩」を取り上げる予定であるが、すでに複数の作品の読解は終わっており、資料の収集も進んでいる。十八世紀英国におけるスポーツと文学の関連についての研究は近年さまざまな角度からなされており、本研究もそれらを踏まえていく。またポール・ホワイトヘッドの「ジムナジアッド、すなわちボクシングの試合」については、過去に『駿河台大学論叢』に論文を掲載済みであり、他の作品についても順次取り上げて論文にまとめていくことになる。
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今後の研究の推進方策 |
次年度については各種スポーツを題材にした「競技詩」を取り上げる予定である。具体的に言えば、マシュー・コンカネンの「フットボールの試合」、ジョウゼフ・アディソンとウィリアム・サマヴィルの「ボウリング・グリーン」、トマス・マシソンの「ゴフ」(ゴルフ)などである。これらの作品についてはすでに読解と分析がおおむね終わっており、当時のスポーツ競技をめぐる資料などと突き合わせていくことが今後の課題である。 近代スポーツと比較した場合、十八世紀英国におけるスポーツ競技は興行として行われるものと、労働者の娯楽としておこなわれるものの2種類があり、ルールや競技場についても近代と異なる面が多々見られる。この点についても研究を深めていく。 またこれらの作品にはいずれも地方色が豊かに見られ、コンカネンの詩はダブリン近郊の二つの村同士のサッカーの試合を描いたもので、アイルランドの風俗がふんだんに描かれている。マシスンのゴルフにかかわる詩も、エジンバラ近郊のゴルフ場を舞台にした友人同士の勝負が中心になっており、近代ゴルフ誕生にまつわるエピソードも盛られている。十八世紀前半のスポーツ競技は、あくまでも限られた地域で行われたものなのだ。 上記の作品以外にも、ダニエル・ベラミーの「バックギャモン、すなわち修道士たちの戦い」、コッツウォルズ・ゲームスに取材したサマヴィルの「ホビノル」、ニコラス・ジェイムズの「レスリング」、ジェイムズ・ラヴの「クリケット」など、スポーツを題材にした「競技詩」は少なくない。これらについては3年目以降に取り上げることになると思われる。
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