本研究の全体的な目的は、ラフカディオ・ハーンやバジル・ホール・チェンバレン等、明治期の英米系ジャパノロジストによって英語化された、日本の神話・伝説・物語などが、日本に逆輸入され、当時、特権的・規範的な地位にあった学校「教科書」や「翻訳」によって読まれたために、それら英語化された物語に潜む、リアリズムとサスペンスを基調とする近代西洋のナラティブと、オリエンタリズムに由来する異文化描写が、日本の「伝統的」物語の再生に取り組む作家や語り手たちに強い印象を与え、「民話」と呼ばれる、新しい地方の文芸の創出に関与したこと、さらには、その方言による地方の文芸活動が、戦後、禁圧された国民神話に代わる、安全な「懐旧」「愛郷」の物語として、一九五〇年代から爆発的に流行し、「活字」メディアから「舞台・演劇」「漫画・アニメ」へと拡散するなかで、「近代西洋のナラティブ」と「異文化描写」がどのような役割を果たしていたかを論証することである。 本年度は、とくに木下順二とハーンの関係に焦点をあてて、論文を執筆した。劇作家で英文学者・評論家でもあった木下順二は、あらたに「民話劇」という芸術ジャンルを提唱し、みずから執筆・上演した『夕鶴』は、佐渡地方に伝わる単純な異類婚姻譚に、資本主義批判を盛りこみ、なおかつ、美しい郷土、懐かしい昔の物語として人気を博した。木下とハーンにはいくつものつながりがあるが、おもに両者の政治的思想的スタンスの違いが原因となって、両者の関係が主要作品の類似性・相似性として本格的に論じられることはなかった。本年度の研究では、木下順二が失敗作として、意図的に「埋没」させてしまった、書き下ろし歌舞伎台本「雪女」」の内容と成立過程を検証し、その執筆と上演に、木下のハーンへの強い対抗意識が見られることを指摘し、ハーンと木下が民話の近代化に果たした役割の相似性、および影響関係の可能性を指摘した。
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