本研究ではロマン主義期にイギリスで出版された百科事典の編纂と出版について検討してきたが、百科事典の記述、特に地理的情報を考察するにあたって、同時代に出版された旅行記を参考にして検討を加えてきた。今年度はこれまで考察してきた『ブリタニカ百科事典』、『ロンドン百科事典』の記述の典拠となったクック旅行記(第3回航海)およびバンクーバー旅行記のハワイに関する記述、およびこの二つの探検航海の間の1780年代の記録などを参考にし、ハワイにおける疫病の拡大および人口減少について考察し、論文に纏めた。 今年度の研究で明らかになったことは、同時代のイギリス海軍関係の公式記録において疫病の蔓延が詳細に記述されることがほとんどなく、その他の同時代記録においてもヨーロッパ人がもたらした疫病がハワイ島民に壊滅的な影響を与えているという認識が現れないことである。総じて19世紀の百科事典においてヨーロッパの人々が太平洋諸島(その他「発見」された土地)に疫病をもたらしたという知見は示されないが、これは百科事典がイギリスの帝国主義的な政治状況における読者の要望に良く応えていたためと考えられる。 本研究が百科事典における地理的情報を検討することに集約したことから、『メトロポリターナ百科事典』の検討、および百科事典における科学的学術領域の記述についての考察は、19世紀における知識の制度化の視点から新たに検討するべきという結論になった。『メトロポリターナ』の編集形態が知的領域の相互関連構造を示すものであるのに対し、『ブリタニカ』はアルファベット順による項目編集により変化する情報としての知識を繰り返し改変ながら追っている。後者の編集形態は、知識の編集の成果が体系化を志向しない点において、情報の新しさが正しさにとって代わる形態であるとも観察しうる。
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