本研究は、田園にこそイギリスのナショナル・アイデンティティ(イングリッシュネス)の本質があるという田園主義的アイデンティティの構築と脱構築の歴史をたどることを主題としているが、今年度は、「カズオ・イシグロ『日の名残り』――ヘリテージ文化の影のもとで」の後半部分を中央大学人文科学研究所『人文研紀要』に投稿し、無事受理されたところである。その論文は『日の名残り』(1989)を、ヘリテージ戦略によるナショナル・アイデンティティの強化/再構築というサッチャー政権の帝国主義的国家観と反動的歴史観を批判的に主題化している作品として解釈したものである。 今年度は、ヘリテージ映画の典型例と称される『日の名残り』の映画(ジェイムズ・アイヴォリー監督、1993)を、原作との比較のなかで解釈し、サッチャー政権が推進したヘリテージ文化への批判をふくんでいたポスト・ヘリテージ的原作が、映画においてはどのようにヘリテージ的作品に変容しているかを、おもに時代設定の変更をとおして確認した。それとともに、ジャブヴァーラの脚本と彼女が大幅に書き換えたハロルド・ピンターの元の脚本との興味深い差異についても研究を行った。 今年度は(イングランドの田舎における国教会コミュニティをエリオットがいかに評価しているかを主題とした)ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』論を完成させることもめざしていたが、オンライン授業にともなうさまざまな仕事がかさんだため、ようやく原稿の一章を書きあげたところである。また、一次資料の収集を主たる目的として予定していた海外出張も果たすことができなかったため、年度末にいたって(非常に遺憾ながら)研究計画の変更を決意することにし、最終年度を待たずにいったんこのプロジェクトを終了し、新たな三年計画を策定することにした。
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