研究課題/領域番号 |
18K00438
|
研究機関 | 立命館大学 |
研究代表者 |
ウェルズ 恵子 立命館大学, 文学部, 教授 (30206627)
|
研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2022-03-31
|
キーワード | Minstrel show / Musical show / Cultural diversity / Performance culture / 文化変容・文化移動 / ミュージカルショー / 19世紀アメリカ大衆文化 / ミンストレルショー |
研究実績の概要 |
19年度は、前年度の資料調査をもとに復刻資料集成を編纂して出版した。この資料集では、初期ミンストレルショーを中心とした一次資料を扱っている。編纂の目的は、1830年代から約一世紀半にわたるMショーとその遺産という歴史の中で、功罪入り混じった影響を鑑みつつ、これが芸能としてどのように成立し複数の将来的方向性を定めていったのかを確認することである。編纂方針は、Mショーの芸能としての立ち上がり経過が見えることとし、アメリカ音楽文化との関係も読み取れるように努めた。Mショーのごく初期の流行歌謡の資料およびプレイビルと、Mショーが大流行するなかで書かれた文献を3冊収録した。これらの資料に、Mショーとは切り離された場面でアメリカ人の愛唱歌として根付いていった歌の数々(文化的展開)を確認することができる。2冊のマニュアル本(1899, 1926)は、ショーのアマチュア劇団への圧倒的な広がりを示し、サーカスから派生したMショーが次第にミュージカル演劇に移っていったことが確認できる。1928年に出版された解説書では、演じる側がこの芸能をどう捉えていたかがよくわかる。文献の挿絵や写真は多分に差別的でグロテスクでもあり、歌詞も資料の文面も同樣である。ここから得られる認識は、バフチンに言及するまでもなく、大衆的な笑いは差別意識に根ざしたところで生じるということである。1850年代には黒人のM劇団や黒塗りをする黒人コメディアンも現れた。その後、黒人の演者たちは聴衆の要求と自らのアーチストとしての欲求を調整しながら、困難を排しつつヨーロッパ喜劇やサーカスの伝統が色濃いMショーとは異なる芸能の流れを作り、アメリカ文化を牽引した。Mショーのもつ要素のうち、黒人の尊厳をおとしめる喜劇的な設定を削いでゆき、音楽とダンスに重点を置いて彼らの才能を生かしていったのだ。演技の方面でも、独自の模索は続いている。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
19年度は順調に成果を上げられた。ミンストレルショーの発生時期の資料を検討し、そこから 1)アマチュア劇団への浸透、流行、2)ミュージカル演劇への展開 の萌芽を確認できた。
|
今後の研究の推進方策 |
20年度は、サーカス、ボードヴィル、ミンストレルショー、ミュージカルコメディのアメリカでの定着とアメリカ化について精査し、初期ミュージカルの発生の様子を明らかにしたい。さらに、このテーマでの文化史の執筆を計画し始められれば、と思う。
|
次年度使用額が生じた理由 |
2月と3月に調査出張を計画していたが、コロナウィルス流行のため移動が制限されて、実行できなかった。20年度の後半に行動制限が無くなったら予定を実行したいと思う。
|