本研究では、ドイツ語圏で1770年代以降急速に内面描写についての理論が発達したことに注目し、なぜ内面が言語的な表現の対象になったのか、その過程にはどのような議論があったのかを明らかにすることをめざした。 ジュネーブで活動したボードマーとブライティンガー(「スイス派」)は『想像力の影響と使用について』(1727)で想像力を「目の前にないものを見ること」と定義した。想像力は思考によるのではなく、あくまで外界を視覚によって認識する感覚的受容として説明されており、そこに個人的な主観や独自性が入り込む可能性をみとめていない。つまり18世紀前半では、想像力は内面的・内省的な活動とは認識されていないことがあったといえる。 彼らがその後1740年代に入りライプツィヒで活動していたゴットシェートと文学における想像力の在り方について論争した際、ゴットシェートが調和と形式の重視を主張するフランス支持の立場をとったのに対して、ボードマーらはイギリスの立場を支持しつつ、ミルトンの叙事詩『失楽園』における描写を自由闊達な想像力の表現として賞賛した。つまりボードマーは20年代後半には想像力を外的受容と同一視していたにもかかわらず、それからおよそ十数年経った頃には、想像力における個人の独自性を強調することによって、主観的な独立性を認める方向に立場を変化させているのである。 その他にも、18世紀の小説理論ではしばしば小説と歴史の比較がなされるため、クラデニウス『一般歴史学』(1752)を軸に小説理論と照らして分析したり、ヴィーラントの『ドン・シルヴィオ』の解釈から18世紀半ばのドイツで想像力が「発見」されたことを、つまり明確に認識されるようになったことをテクストを分析して結論付けた。 本研究の成果は、関連する他の研究プロジェクトと総合し、今後単著での発表を予定して準備作業が進められている。
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