研究課題/領域番号 |
18K00482
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研究機関 | 愛知県立芸術大学 |
研究代表者 |
大塚 直 愛知県立芸術大学, 音楽学部, 准教授 (70572139)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | ホルヴァート / ヴァイマル共和政 / ナチ時代 / 抵抗文学 / 民衆劇 / 難民 / 亡命 / ナチ娯楽映画 |
研究実績の概要 |
科研費をいただいてから二年目の研究活動が過ぎた。一年目に引き続き、海外へ現地視察を行い資料蒐集に努めたが、その成果として論文を発表したり、シンポジウムを開催したりした。 具体的には、1933年のナチス政権成立後に始まる後期ホルヴァートの亡命生活を辿るために、この時期の彼が滞在したハンガリーのブダペストや、オーストリアのウィーンで滞在先の住居を訪ねたりした。また、現地の資料館で関連する資料を蒐集してきた。 それらの作業を踏まえて論文を二本、執筆した。一つ目は後期戯曲『戦場から帰ってきたドン・ファン』をめぐるもの。西欧の文化史で有名なドン・ファン像の歴史的変遷を扱ったもので、なぜナチ政権の成立後に劇作家ホルヴァートがこのモチーフを取り上げたのか、初期の草稿からヒトラーへの暗示を明らかにし、また戯曲が書き上げられていくなかで、ハンガリーの貴族階級出身であった自身の来歴が重ねて描かれているのではないか、これまで指摘されていない事実を明らかにした。 もう一つ発表したのが、後期戯曲の開始を告げる音楽劇『行ったり来たり』をめぐる論考である。オーストリアの先輩作家ネストロイからの影響や、ナチ時代にドイツから亡命した芸術家たちの受け皿となったスイス・チューリヒ劇場での初演などを扱った。また、音楽劇である本作品の音楽を監修した作曲家ハンス・ガルについても初めて本格的な調査・紹介を行った。 この成果は論文の執筆だけでなく、シンポジウムの開催にも繋がった。新ウィーン全集版に収録された『行ったり来たり』のハンス・ガルに拠る自筆譜を取り上げ、愛知県立芸術大学の同僚の作曲家の協力によって修復・編曲してもらった。その成果をシンポジウム形式で発表、編曲された作品も学生たちの協力により、本邦初演した。それによって音楽を媒体に、ナチ時代のホルヴァートの取り組みの一端を一般の方がたにも広く紹介することができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
ホルヴァートの後期戯曲を研究していくうえで、明らかにしなければならないのは、第一次世界大戦後にドイツ・バイエルン州に住みついた彼が、なぜナチ政権の成立後に本来の出自であるオーストリア=ハンガリーの舞台芸術の伝統に回帰したのかということである。また中期までの、ヴァイマル共和政時代の同世代の人びとを批判的に活写するかの作風から、後期戯曲は一線を画して、多かれ少なかれ過去の文学作品の改作といった趣を呈している。 そのなかで、すでに代表的な後期戯曲として知られ、モーツァルト・オペラの改作でもある『フィガロの離婚』と『戦場から帰ってきたドン・ファン』についてはすでに論じた。ウィーン民衆劇の劇作家ネストロイからの影響も『行ったり来たり』を扱うことで検討した。ホルヴァート研究の魅力として、西欧文化史のうえで、一般に日本には紹介されてこなかったマイナーな作家や音楽家と彼が交流を持っていたことが挙げられるが、クラシック音楽の世界で近年ルネサンスを迎えているハンス・ガルの作品について、シンポジウム+レクチャーコンサートという形式で、2019年度に発表できたのは良かった。 次なる課題としては、最晩年に書かれた〈人間の喜劇〉と呼ばれる作品群、『男のいない村』と『ポンペイ』の考察である。これらはいずれも種本を持つ、ある古典作品の焼き直しとも言えるのだが、なぜナチ時代にこれらの作品を問いかけたのか、またどうしてホルヴァートは「喜劇」と銘打ったのか、引き続き作品分析を行って、考えていきたい。 また、後期戯曲を扱うということは、その前提となる初期や中期の作風、すなわちナチ前夜のホルヴァートをも重ねて考察せざるを得ないわけだが、研究のなかで彼が亡命するまではミュンヘンの政治文化と著しい繋がりを持っていたことが分かってきた。第一次大戦後のバイエルン・レーテ革命からナチスの台頭まで、改めて考察を深めたい。
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今後の研究の推進方策 |
科研費三年目となる今年は、ドイツ・ベルリンに短期滞在して関連する資料を蒐集したい。とくに、後期戯曲の音楽劇とナチ娯楽映画は関係するのか、ポツダム広場のソニーセンターでナチ時代の映像アーカイブのなかから、ホルヴァートと関係するいくつかの作品を調べてみたい。また、ベルリン滞在時のホルヴァートの足跡・活動の跡を辿り直してみたい。 後期戯曲の末尾を飾るのは、ハンガリーの作家ミクサート・カールマンの小説『男のいない村』の戯曲化、およびプラウトゥスの『ペルシア人』の改作『ポンペイ』である。いずれも「喜劇」であるが、「悲劇」とも結びついている。「喜劇」と銘打つことは、ホルヴァート以後の劇作家である、例えばデュレンマットのグロテスクな手法の先駆けであると言えるのか、作品に即して検証してみたい。 ナチ時代とともに亡命生活を開始する後期ホルヴァートを考察することは、その前提となるヴァイマル共和政やナチスの台頭とも無論、関係することである。とくに旧ハプスブルク帝国の瓦解に伴ってバイエルン州ミュンヘンに腰を据えたホルヴァートにとって、バイエルン・レーテ革命の経験をスタートとする作家たち、例えばエルンスト・トラーやオスカー・マリア・グラーフの存在は無視できるものではなかった。他にも、ランダウアー『社会主義への呼びかけ』のホルヴァートへの影響も指摘できるかもしれない。その意味では、彼らの影響から小市民批判、反ナチスという政治的立場も生まれているのかもしれない。しかし、ナチスの政権獲得とともに亡命生活が始まると、ホルヴァートはドイツ・バイエルン州からハプスブルクの文化的遺産へと回帰していくのである。 その際に、1933年を境になお連続する部分と、離反する部分があるはずなのだが、その辺りをもっと考えてみたい。またほぼ同世代で同時期にベルリン進出をしたブレヒトとの関係も可能な限り探ってみたいと思っている。
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次年度使用額が生じた理由 |
差額はわずか5円であり、ほぼ当初の使用計画に沿って予算を執行してると言える。
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