劇作家ホルヴァートの後期戯曲とは、1933年のヒトラーによる政権奪取後から1938年にパリで事故死を迎えるまでの、五年余りに及ぶ長い亡命生活のさなかに書き継がれた九本の戯曲のことである。当然ながら同時代の政治難民の問題、ユダヤ人差別の問題が描かれてはいるが、そのほとんどが喜劇の形式だったり、種本を持つ一種の改作劇であったりするため、受容史的に位置づけが困難とされてきた。 コロナ禍のため当該年度は海外渡航を控えたが、このユダヤ人問題を考察するために、福井・敦賀ムゼウムや福山・ホロコースト記念館を見学、作品の背景にあるナチ時代について理解を深めた。また新ウィーン全集版の既刊を多数購入したことにより、これまで研究論文などで間接的にしか読めなかった草稿断片を年代順に閲覧できるようになった。 科研費最後の当該年度では、中期の代表作『ウィーンの森の物語』を当時の女性の自己実現と社会的転落という視点からまとめた論考、および後期戯曲へと踏み込んだ重要な戯曲『セーヌ河の身元不明の少女』をそれまでの女性主人公とは異なる、古典の文学作品を下敷きにした新しい自立した女性像として検討した論考、合計二本を発表した。これらによって、中期と後期の作風のどこが違うのか、戯曲における二項対立の要素など重なる点と、倫理的・形而上的な方向性への転回など異なる点とを明らかにできた。 さらに最晩年のプロジェクト〈人間の喜劇〉をめぐって、これまで個人を描く作家と見做されてきたホルヴァートだが、新全集版の知られざる資料から「わたし達」の思想や人間愛について裏付けとなる記述を発見した。また後期戯曲が変革の時代を描いており、〈人間の喜劇〉は同時代に対して新しい人間性を希求する試みであったなど、現在まとめの論考を準備している。 一連の研究から群衆や人種差別の問題と向き合ってきたホルヴァートの仕事の意義が明らかになってきた。
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