『声の文化と文字の文化』においてオングは、口頭構成法理論やA・R・ルリアの論考などに基づき、表現や思考が声にもとづいて組み立てられている世界と、それらが文字によって組み立てられている世界では、人間の思考と表現のあり方が大きく異なっていることを明らかにした。現在では、人間の思考のあり方に関しては、オング説は必ずしも賛意を得ていない。その一方で英雄叙事詩や語り物の表現においては、リテラシーには見られないオラリティ特有のものが見いだされ、両者の間の不可逆的な断層の存在が肯定されている。 本研究の目的は、口頭構成法以外の方法で作られた口承文芸に、リテラシーと明確に分立するオラリティが存在するか、あるとすればそれはどのようなものかを探求することであり、その目的を達成するために、中国の広西壮族自治区に居住する壮族の口承文芸である掛け合い歌(フォン)を対象にして、事例研究を行うものである。事例研究では焦点を「武鳴県の壮族のフォンの修辞表現の差異が方塊字(伝統的な壮語の書き言葉)の識字の有無に関連しているか」に絞った。 2023年度は①広西壮族自治区武鳴県において過去に収集し、ノートに記述した掛け合い歌6000首について、昨年度に引き続き、歌い手ごとに歌を整理した。② ①のうち、400首(6冊のノート分)について、現代壮語(アルファベット表記)、方塊字(壮語の書き言葉)、現代中国語を用いてテキスト化し、さらに電子データ化を行った。③壮族の掛け合い歌をシャーマニズムの観点から分析した学会発表を1回行い、さらにそれを論文として学会誌に掲載した。 この他、研究期間全体では、広西壮族自治区武鳴県において、フォンの歌い手から方塊字と漢字に識字状況について聞き書きをおこなった。
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