研究課題/領域番号 |
18K00551
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
酒井 智宏 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (00396839)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 捉え方 / 認知言語学 / 遂行発話 / 外在主義 / 内在主義 / 心的辞書 |
研究実績の概要 |
本年度の実績は大きく分けて二点ある。 第一に、文の事実確認的ないし記述的用法と行為遂行的用法の違いが、発話と世界の関係の捉え方の違いに由来するものであることを示した。オースティンは I name this ship the Queen Elizabethという文Sを発話することはすなわち命名という発語内行為を行うことにほかならず、この発話は真でも偽でもないと考えた。他方、Sには事実確認的用法もあり、その用法のもとでは、Sは通常の平叙文の発話と同じく真理値をもつ。行為遂行的発話はレカナティの言う没入的な捉え方に対応し、儀式を構成する象徴的行為の一つとして捉えられる。このとき、発話は当該の儀式によって規定される発語内効力をもつ。他方、主張的発話は反省的な捉え方に対応し、儀式を外側から記述することを意図した行為として捉えられる。このとき、発話は発話者の伝達意図に沿って解釈される。この分析は、遂行性に起源に関するデュクロやフォコニエの考え方と整合的であり、ストローソンの指摘する主張的発話が独自の適切性条件をもたないという事実を説明することができる。 第二に、パトナムの提唱する意味の外在主義を、認知言語学的な内在主義に統合する道筋を描き出した。言語使用者の知識状態に応じて、言語表現とその外延との結びつきには(i) メタ言語的な敬譲的捉え方、(ii) 心理的な敬譲的捉え方、(iii) 非敬譲的な捉え方の三つがある。(i)は心的辞書にない言語表現Xを用いる際に活性化され、「XというY」という形式で表される。(ii)と(iii)は心的辞書に登録済みの(すなわち獲得済みの)言語表現を用いる際に活性化される。(ii)は非専門家が「水」「ニレ」などの語を用いる際に活性化され、専門家のもつ(iii)を経由することで外延に到達する。こうして、非専門家も水やニレについて思考することができる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
「研究実績の概要」に記した実績の一点目は2019年に英語論文として公刊済みであり、実績の二点目については2019年にフランスの学会で口頭発表を行った。口頭発表を大幅に発展させた内容が、2021年にヨーロッパの出版社から刊行される単行本に英語論文として公刊される見込みである。これ以外に、日本語による共著書の原稿が脱稿済みであり、そこでは、捉え方という概念を用いることで、「古ノルド語のsikは、形式の変化を伴いながら、スウェーデン語で受動用法を発達させた」のような語りと「フィリップは自分の息子が天才だと思っている」のような語りに共通する思考のあり方、ジョンの発するI am hungryとメアリーの発するI am hungryが異なる真理条件的内容をもちながらも同じ思考であると感じられる理由、実在物を指す固有名詞とフィクション名がいずれも固有名詞であると感じられるしくみなど、一見しただけでは相互に関連を見出すことが困難な諸現象を統一的に説明することができることを示している。
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今後の研究の推進方策 |
「語彙項目の外在性」と「意味の内在主義」と両立させることのできる理論を構築する。現代言語学の標準的な見解では、語彙項目は個人の心的辞書に登録される。しかし、ナンバーグの語義のネットワーク理論とカプランの語の定義とレカナティの「いかなる実態も状況たりうる」という考え方を組み合わせると、「単一の語彙項目の複数の用法が、ときに形式の変化を伴いつつ、言語をまたいでコネクターによって結合されている」という捉え方が可能になる。「アイスランド語」と「スウェーデン語」をそれぞれ別のスペースとみなすこともできるし、アイスランド語とスウェーデン語、さらにはイタリア語とスペイン語とラテン語と印欧祖語をも包括する大きなスペースを想定することもできる。実際われわれは「アイスランド語の-st (古ノルド語のsik)がスウェーデン語では-sになる(なった)」「印欧祖語の再帰代名詞はアイスランド語でsigになり、イタリア語でsiになった」「古ノルド語のsikは、形式の変化を伴いながら、スウェーデン語で受動用法を発達させた」といった語り方をする。こうした語り方は個別言語を超えた言語単位の存在を前提としている。今日では、語彙項目の歴史は個人の言語知識とは無関係であり、それゆえ共時言語学の研究対象とはならないとする考え方が一般的である。この通説とは反対に、語彙項目の歴史言語学的な捉え方こそが、意味の外在主義を正当化する哲学的議論と意味の内在主義を両立させる鍵となることを論証する。
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