令和3年度は、前年度同様これまで継続的に調査研究を行っている高山寺蔵『打聞集』の原本調査を予定通り行うことができなかったため、すでに入手済みの写真データを利用した調査研究を行った。全三帖の翻字本文作成を進め、第一帖32丁裏から39丁裏までの翻刻を発表した(第一帖は完了)。 また、今期は本研究課題で対象とする和化漢文について、平安時代末期の仏家の注釈活動と和化漢文の言語との関連について、説話の和化漢文の付訓と用字との関係の一端を明らかにした。具体的には、東寺観智院本『注好選』に加点された左右両訓(全訓付訓)と漢字との関係について、当該期の古辞書『色葉字類抄』および『類聚名義抄』の記載状況の確認を行った。その結果、『注好選』では、古辞書に認められない漢字と訓の関係によって訓が施されることがあり、その際、単字の基本義からは離れた読みを示す全訓付訓が行われる場合が多いことが確認された。また、そうした訓を文脈に合わせて一回的に与えることの意味は、文意、ひいてはそこから導かれる教えをより強く響かせる必要にあると考えられた。 こうした謂わば一回的な訓が必要となる背景には、各漢字の基本義が説話テクストの理解者/使用者の意図を満たしていない、あるいはズレているという用字法上の問題が関わっている。中国古典に素材を求める説話においては、中国古典文の言語・用字を影響を強く受けることになる。また、和化漢文にあっても、漢文表記を採る限り、日常的対話的な口頭言語とは離れた語彙・文法を用いざるを得ない「縛り」がつきまとうこととなる。当該期の古辞書に認められない漢字と訓との結びつきの創出(一回的な使用)は、漢文の表記様式による記録の書記言語を対話の口頭言語へと移し替える言語行為の跡と見ることができるという今後の研究における分析の観点を得ることができた。
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