研究課題/領域番号 |
18K00625
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
上野 和昭 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (10168643)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 名目鈔 / 洞院實凞 / 後水尾院 / 小浜市立図書館 / 四声観 / 新式声点 / 訓漢字 / 振漢字 |
研究実績の概要 |
当該年度のテーマは、名目鈔声点本から推定される四声観・アクセント観の解明である。とくに奈良女子大学学術情報センター、小浜市立図書館酒井家文庫に所蔵される声点本は、本研究ではじめて紹介されたものである。奈良女子大本は通行版本に一部分増補された、いわゆる増補系のものであるが、小浜本は通行版本に差声したものであるとはいえ、原本は後水尾院の文字読みをつたえるもので、寛文十年に「勅筆之再傳之本」を転写したことが本奥書から知られる。小浜本の本奥書にはまた「禁裏文字讀御傳授之時被遊之処」とあるところから、後水尾院の「勅點」であることともに、その伝授される場についても明らかになった。 名目鈔の声点は、いわゆる「新式声点」である。旧来の声点が文字(仮名)一つひとつに差すものであり、さらにその文字(仮名)のあらわす拍に、四声のいずれかを付与するかたちで語の音調を指し示すものである。これに対して「新式声点」は、仮名二字にわたって上昇、または下降することを、その第一字にそれぞれ去声点(右上)、平声点(左下)を差す方式のものである。すなわち名目鈔の差声対象は仮名一字であるが、その音調は仮名二字にわたるものをあらわそうとしているところに特徴がある。 このような四声観は、江戸時代の契沖にみられる語を単位としたアクセント観にいたる過渡的段階として位置づけられることが多かったが、一方で名目鈔には訓漢字に一つの声点を与えた例もみえ、そのような例は院政鎌倉時代の古辞書にも、たとえば「もの(物)」を「牛」一字であらわし、それに声点を一つ差した例がみえることを思えば、語を単位としたアクセント観はさほど新しいものではないようにみえる。また、文字読み伝授の場で記録された「振漢字」のなかにも、語を単位としたアクセント観があらわれていることを、本研究の成果として挙げることができる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究は、初年度に、仮名遣書や語学書に記されたところを検討して、そこに記された四声観を検討した。つづく第2年度は、名目鈔声点本に差された声点を検討した。つづく最終年度は、能楽書、謡曲指南書などに記された四声観を検討して、室町期から江戸期にわたる四声観・アクセント観の変遷をまとめることにしており、当初の予定どおり進捗している。 いま第2年度を終了した段階で明確になってきたことは、この研究課題の構図である。これまでのアクセント史研究では、声点による音調表示と(現代の学問的視点からの)アクセントとを直結して理解することを常としてきた。しかし、原資料に差声した人とその所属する社会(時代、地域、階層など)の四声観・アクセント観と、現代的観点から把握されるアクセントとは、たしかに対応はあるにしても、かならずしも一致するものではない、ということが重要である。文献に差された声点は、その差声者の四声観・アクセント観をもとに差されたものであり、さらには移声者のそれが介入してくるものと考えなければならない。このような研究の構図を意識して研究することが、本研究の眼目とするところである。 このことは、たとえば江戸時代の文雄『和字大観鈔』における独特なアクセント表記において顕著である。文雄の「平声」は平らな音調であるが、今日のアクセント史研究からすれば、それは高平調であることが多い。すなわち文雄自身にとって「平声」はかならずしも高調である必要はなかったのである。 このような観点からの研究の視点を、本研究の主眼とすることを明示的に主張できることは本研究課題を推進するうえに重要であり、本研究がおおむね順調に進捗しているという所以もまたここにある。
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今後の研究の推進方策 |
令和2年度は最終年度にあたるので、能楽書、謡曲指南書などを中心に、そこにあらわれた四声観・アクセント観を考察するとともに、これまで声明書、仮名遣書、語学書、故実書を検討してきたので、これらをまとめて室町期以降の四声観・アクセント観の変遷を考察する。 能楽書、謡曲指南書については、すでに小西甚一『文鏡秘府論考 研究篇上』1948、前田富祺「能楽論におけるアクセント観」1965があり、ほかに桜井茂治、添田建治郎、坂本清恵らの研究もあるので、これらを検証するところから検討をすすめ、世阿弥の記述を手はじめに禅竹のものなど後世の能楽書にも目配りをする。加えて平曲書についても『西海余滴集』などの記述を追い、さらに『言語国訛』についても再考する(拙稿「『言語国訛』覚え書」2006)。 室町期以降の四声観・アクセント観は、声明関係書、仮名遣書、語学書、故実書、音曲関係の伝授書などからうかがうことができるが、それらは古代の四声観・アクセント観から分岐してそれぞれに伝承され、発展したものと推定される。その経緯をあとづけて、相互に如何なる交渉があったかなどを考察する。仏家に伝わった四声観・アクセント観については、すでに拙稿「『補忘記』に載る漢語句の音調について」2016があり、金田一春彦『四座講式の研究』1964を解説した拙稿「声明資料によるアクセント史研究」2017・18もあるので、それらをもとに考察をすすめる。 令和2年度前半は、諸般の事情から外出もままならないので、手元に資料をととのえてある平曲書を中心に検討し、夏期以降に能楽書、謡曲指南書などを扱うこととする。また室町期以降の四声観・アクセント観の変遷についての考察は本年度後半に予定する。
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次年度使用額が生じた理由 |
令和元年度の使用額に繰り越しが生じたのは、文献調査が予定したよりも少なかったことによる。名目鈔声点本が所蔵されているかどうかを、国文学研究資料館のデータをもとに調査して声点本がみとめられれば、令和2年度も原本調査を継続する予定である。なお、国内にいるアクセント史研究者を招聘して研究会を開き、そこで研究成果を発表することも考えている。
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