令和2年度は、これまでの仮名遣書、語学書、故実書などに、能楽書、謡曲・平曲指南書などの古典芸能関係の伝書もあわせて、そこにみられる四声認識をあきらかにした。 近世以降の四声認識の主流となったのは伊勢貞丈(1717~84流の考えであったとされる。その『安斎随筆』には、時間とともに推移する音調のあり方が左から右への線分によって図示されているが、これを継承したとされる石原正明(1760~1821)の『年々随筆(辛酉随筆)』も、「いひはじめひくくやはらかなるが、末やうやくにあがりつよくなる」などと説明するのであるから、時間的経過を追っていることは否定できない。また、平声を「もとすゑ同じほど」としながらも、日本語の上昇調も下降調もはっきりとしたものではなく、中国の平声の範疇におさまる、というようなことも述べられている。 芸能書としては、平曲伝書の一つである『言語国訛』(1758か)には、「平上ノ間ヘ響」のような記載があり、日本語の音調が四声の枠組みにおさまらないことを述べている。また同書に「下ヨリ上ヘ響クヤウニ」として図示されたものも時間的経過を右から左への曲線の幅によって示している点に特徴があるが、これを「上声ノ如ク唱ヘルガ和朝ノ口クセ」と説明しているところからして、これも日本語の音調を四声の枠組みでは捉えきれないとみていたことを裏付ける。 また能楽伝書の『五音三曲集』(金春禅竹1460奥書)には、「平上よし」「去入わるし」などとあって上昇調や下降調をきらうことが見てとれる。謡曲伝書の『謳曲英華抄』(二松軒1771序)は契沖『和字正濫鈔』の影響が著しく、平声の文字でも「移る文字」によって上昇することもあり、下降することもあることを述べて、ときには「節に引れて平上去の音の動くは勿論なり」ともいう。 以上、近世における四声論は、現代的視点からは理解しにくいものであることを明らかにした。
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