研究課題/領域番号 |
18K00800
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研究機関 | 愛知大学 |
研究代表者 |
石田 卓生 愛知大学, 東亜同文書院大学記念センター, 研究員 (50727873)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 中国語教育 / 東亜同文書院 / 愛知大学 / 華語萃編 / 中日大辞典 |
研究実績の概要 |
東亜同文書院で行われていた中国語教育が、その後身である愛知大学においてどのように受け継がれたのかについて調査を進めた。 上海にあった東亜同文書院大学は、第二次世界大戦後に運営母体である東亜同文会が解散すると消滅したが、同大学長本間喜一は東亜同文書院大学の元学生の受け入れを想定しつつ、1946年新たに愛知大学を設立した。東亜同文書院大学が中国を中心とする商学系の大学であったのに対し、愛知大学は法文系の大学として出発しておりカリキュラム上は中国に重きを置いていなかったが、創立時の入学者には東亜同文書院大学の元学生や中国語圏からの引揚者が多かったこともあり、中国語学習が盛んとなった。 彼らを指導したのは鈴木択郎など元東亜同文書院大学中国語教員である。彼らは東亜同文書院大学独自の中国語教科書『華語萃編』を用いるなど、東亜同文書院大学の中国語教育を愛知大学で実施した。 そうした東亜同文書院大学系中国語教員は、戦後の中国や中国語の変化に対応するために『華語萃編』を簡体字化するなど手を加えつつ、新たに『中文会話教科書』(大安、1964年)を作成した。『華語萃編』は日本人が中国で暮らしていくことを念頭に置いた内容だったが、『中文会話教科書』は日本人が中国を短期間訪問するだけの内容となっている。これは当時の日中間に国交がなく、民間人の自由な行き来が不可能である現実も考慮したものであると考えられる。 また、愛知大学は敗戦時に中国に接収された東亜同文書院大学による中国語辞典編纂原稿の実質的な返還を受けて、これを引き継ぐことにより『中日大辞典』(1968年)を刊行した。 卒業生の聞き取りなどから、こうした東亜同文書院大学から直接連なる愛知大学の中国語教育の取り組みは1960年代後半までは盛んであったが、その後は他校出身教員の増加と大学の一般化による語学教育の一般教養化によって急速に退潮していった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
新型コロナウィルス感染症の流行によって国外での資料調査の実施は不可能であったが、流行の小康時期においては国内での聞き取り調査が可能となり、亀山琢道さん(1970年愛知大学文学部文学科中国文学専攻卒業)への聞き取り調査を実施することができた。 また、学会での研究発表はインターネット上での遠隔方式であったものの、日本現代中国学会第71回全国学術大会において「東亜同文書院大学中国語教育の戦後における展開について:愛知大学を事例として」(西南学院大学、2021年10月24日)と題して報告することができた。 これらに加え、東亜同文書院大学に関して「1937年に実施された東亜同文書院生の中国語通訳従軍について」(『中国研究月報』、2022年掲載予定)の公表を予定している。 以上のように、新型コロナウィルス感染症の流行に起因するさまざまな制約を受けつつも、本研究遂行のための研究活動を展開することができた。
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今後の研究の推進方策 |
本研究成果のまとめとして、東亜同文書院大学から愛知大学へと受け継がれた中国語教育の象徴的な存在である中国語教科書『華語萃編』初集の翻刻公刊を予定している。これについては、愛知大学で実際に使用した卒業生や、過去に筆者も参加した今泉潤太郎愛知大学名誉教授主催『華語萃編』読書会の成果も踏まえたものとなるべく原稿を作成しつつある。
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次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナウィルス感染症の流行によって国内外での資料調査、聞き取りの実施がきわめて困難となったことから、調査を目的とする旅費を中心に使用額について当初計画の使用をすることができなかった。 次年度においては、新型コロナウィルス感染症の流行が収束する、あるいは小康状態となったならば、資料調査での旅費として使用する予定であるが、それが困難な状況であれば刊行資料を中心に、資料となる文献の購入にあてることによって、予定した本研究の成果を達成する。
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