慢性的飢饉状態にあった古代ではあったが、天然痘などの感染症を除いて、旱魃や霖雨による飢饉、それが誘発する疫病は作用する地域が限局された環境抵抗であった。平安前期の人口分布は、列島の中央部から西部にかけて人口密度、すなわち人口圧が高いが、奈良時代を通じてのこれまでの年率一%成長説は理論値であり、深刻な飢疫被害をうけた地域では人口が減少し、人口はモザイク状の分布を示した。奈良時代の人口は年平均人口増加率〇・一%から〇・二%程度の間で推移し、平安時代前期の総人口は五〇〇万から五五〇万人程度と考えられること、東北地方への植民の背景に東国の人口動態を考える必要があることを見通した。
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