研究課題/領域番号 |
18K00934
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研究機関 | 淑徳大学 |
研究代表者 |
森田 喜久男 淑徳大学, 人文学部, 教授 (10742132)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | ヤマタノヲロチ / 奥出雲町 / 修験道 / 雨ごい / 先代旧事本紀 |
研究実績の概要 |
今年度は、前年度に引き続き現地調査と研究会の2本の柱にもとづき、研究協力者である古代出雲歴史博物館の品川知彦氏、同博物館の岡宏三氏、島根県教育庁文化財課の仁木聡氏との共同研究を実施した。 まず、現地調査については、ヤマタノロチ退治神話に関係する場所として、出雲国島根県奥出雲町(古代で言えば出雲国仁多郡に相当する地域)をフィールドに設定し、奥出雲町の郷土史家や地元教育委員会の文化財担当職員の方々の研究成果が盛り込まれた神話マップを入手し、これを手がかりとして、奥出雲町横田地区、鳥上地区、布施地区の伝承地を調査し、近世以降に地元で伝えられたヲロチ退治神話に関わる碑文やヲロチ退治神話に登場する神々を祭る神社を取り巻く周囲の景観を撮影できた。これは、本来、王権の神話の一部であったヲロチ退治の神話が地域社会においてどのように受容され変容したのか、その現状を考える際に手がかりとなる。また、出雲地方山間部で受容されている神話は『古事記』の神話とはほとんど関係しないことが明らかになった。 次に研究会については、古代出雲歴史博物館において実施し、中世以降、ヲロチ退治神話に古代にはないどのような新しい要素が加わるのか。この点について検討を行った。その結果、中世におけるヲロチ退治神話の特色としては、ただ単にヲロチに対して娘を捧げなければならないという単純なストーリーではなく、日照りに伴う雨ごいのために竜に対して娘を捧げるという要素が加わることが明らかにされた。このように出雲の地において神話が変容していく際には、修験道の山伏や能楽師の果たした役割が大きいことが指摘された。また、出雲に伝えられた大蛇退治の神話は『古事記』や『日本書紀』そのものではなく、『先代旧事本紀』の大蛇退治神話であった可能性が強まった。この他研究会では、森田が進めているヲロチ退治神話の史料集作成に向けての検討がなされた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
2019年度は、第一にヲロチ退治神話成立の歴史的背景として出雲地方山間部の状況がどのようなものであったのか、第二に中世以降のヲロチ退治神話変容の実態の解明、これらの点の解明を目標としていた。 このうち、第一については出雲地方の山間部で、雲南市に比較してあまり注目されてこなかった奥出雲町のヲロチ退治神話伝承地の調査を予定していたが、計画通りに実施し、『古事記』に関わる神話がほとんど受容されていないことなど現地調査でなければ把握できないことを明らかにできた。 また第二のヲロチ退治神話変容の実態解明については研究協力者との研究会の中で検討を加えることになっていた。2019年度の研究会では、当初、研究協力者である古代出雲歴史博物館の岡宏三氏に神楽台本の検討を、島根県教育庁文化財課の仁木聡氏に考古資料によって古代出雲地方山間部の歴史を解明していただく予定にしていた。結果として、岡氏による神楽台本の報告はできたが、仁木氏による古代出雲地方山間部に関わる報告は実現できなかった。その原因は、2018年度の研究会において研究協力者の品川知彦氏が、ヲロチ退治神話とたたら製鉄との関わりを明確に否定したため、考古学の分野からどのようにヲロチ退治神話に対してアプローチを行うべきか、その焦点が定まらない状況が続いたからである。 そこで、森田と仁木氏との間で協議を行い、出雲地方山間部の古代における歴史的環境を中国山地という広い視点でとらえ直した時に、どのような点が浮かびあがってくるのか検討を重ねた。その結果、ヲロチ退治の舞台となった出雲地方山間部は、山陰道と山陽道との結節点だけではなく、近畿地方から日本海側へと抜ける交通路との十字路であることが確認され、そのような歴史的環境がヲロチ退治神話成立と関係するのではないかという見通しを得た。次年度は、このような視点で仁木氏に再度報告をお願いすることとした。
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今後の研究の推進方策 |
2020年度は、ヲロチ退治に関わる伝承地としてスサノヲがヤマタノヲロチを斬った剣が奉納されたと伝えられている岡山県赤磐市の石上布都之魂神社(岡山県赤磐市)の現地調査を予定している。出雲と吉備との間に原始・古代において交流が行われたことはこれまでも考古学や古代史の分野で指摘されてきたが、それをヲロチ退治との関わりで検討した論文はほとんど見当たらず、新しい視点である。 この現地調査に加えて、研究協力者の仁木聡氏と共同で中国山地の古墳や横穴の存在形態について整理していきたい。そのことで、ヤマト王権が吉備や出雲をどのような場所として認識し、どのような形で掌握しようとしたのか、これらの点を明らかにし、王権神話の一部を構成するヲロチ退治の舞台として、なぜスサノヲが高天原を追放された後で出雲の山間部に降るという神話が成立したのか、この問題を解明するための手がかりとしたい。 2020年度もヲロチ退治神話変容の実態の解明の手がかりとして、2019年度の研究会において明らかになった『先代旧事本紀』の神話の分析を継続する。また、中世や近世のヲロチ退治神話に関わる史料の収集にも努める。2019年度は近世出雲の地誌や『平家物語』、『太平記』など歴史物語が中心であったが、今年度はそれだけではなく、『古今和歌集』の注釈書なども収集の対象としたい。ヤマタノヲロチ退治の神話は、和歌の成立と深く関わってくるからである。『古今和歌集』の仮名序や真名序には、和歌の歴史を語る中でヤマタノヲロチを退治した後でスサノヲが我が国最初の和歌を詠ずる場面があるが、この部分の中世や近世の注釈には、『古事記』や『日本書紀』には記されていないヲロチ退治神話の新しいバージョンが見える。その検討が必要である。そこで、史料収集のために、当初調査地としては予定していなかった国文学研究資料館など文学資料の所蔵機関へも足を運ぶ予定である。
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