研究課題/領域番号 |
18K00934
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研究機関 | 淑徳大学 |
研究代表者 |
森田 喜久男 淑徳大学, 人文学部, 教授 (10742132)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 平家物語 / 太平記 / 神皇正統記 / 古今和歌集 / 鳥上地区 / 出雲街道 / 石上赤磐神社 / ヤマト王権 |
研究実績の概要 |
まず、前年度に引き続きヲロチ退治関係の文献史料の集成作業を継続し、中世の『平家物語』・『太平記』・『神皇正統記』及び『古今和歌集』の注釈書や歌学書などから草薙剣関係の資料を抜粋収集した。 次に2020年11月27日(土)から28日(日)にかけて、研究協力員である古代出雲歴史博物館の品川知彦氏・岡宏三氏、島根県教育庁文化財課の仁木聡氏と共に中国地方山間部の現地調査を実施した。まず、レンタカーでヲロチ退治の舞台である島根県奥出雲町鳥上地区を経由し岡山県津山市まで走った。その結果、畿内と出雲とを結ぶ出雲街道に接続することが困難であることを確認した。とすれば、鳥上地区がヲロチ退治の舞台として王権神話において選択された理由を交通路に求めることはできなくなる。出雲山間部が王権にとってどのような場所であったのか、さらなる検討が必要となる。 次に、ヤマタノヲロチ退治に使用された剣が祭られていると伝えられる岡山県赤磐市の石上布都魂神社を調査した。同神社は山間部に位置し、元宮には巨大な磐座が存在していることを確認した。そこが古代以来聖地であった可能性はある。それがいつの頃からか、ヲロチ退治の神話と結びついたのである。記・紀神話の変容と地域社会における受容の問題を考える際に磐座は避けて通れないことを実感した。 2021年3月19日(日)に上記3名の研究協力員とzoomで研究会を開催し、今年度の史料収集や現地調査の成果について確認した。そして、 中国山地におけるヲロチ退治神話の受容のあり方を考える上で、出雲だけでなく伯耆・美作・備前・備中・備後・安芸などの諸国の近世地誌類の調査が必要であるという指摘がなされた。また、鳥上地区がヲロチ退治の舞台となった理由の解明のためには、ヤマト王権にとって中国地方山間部の山々がどのような象徴的な意味を持っていたのか、その検討が必要であろうという展望が示された。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
今年度は、出雲山間部がヲロチ退治神話の舞台となった理由について考古学的成果にもとづく分析を実施する予定であった。しかし、研究協力員である仁木聡氏が島根県埋蔵文化財センターから島根県教育庁文化財課へ移動し、本務である文化財行政が多忙を極めたことや新型コロナウイルスに伴う緊急事態宣言発令のために十分な協議を重ねることができなかった。仁木氏とは、年度末に電話等で打ち合わせを行い、現状では出雲山間部においてヲロチ退治の歴史的背景を解明する手がかりとなるような考古資料の新たな提示は難しいが、次年度に予定されているスサノヲが朝鮮半島から出雲へ渡来したという神話に関わる調査については考古学的データを提供することが可能であるという回答を得ている。 考古学的アプローチは若干遅れているものの、研究協力員である古代出雲歴史博物館の品川知彦氏や岡宏三氏と共に実施した宗教学的アプローチ、近世史的アプローチによる中国山地におけるヲロチ退治伝承地の調査は、順調に進んでいる。前年度までで中国山地西部(広島県・島根県)までの現地調査を終え、今年度は中国山地東部(岡山県)の現地調査を終えた。これらの調査により、地域社会におけるスサノヲ神の信仰の実態が解明されつつある。また今年度において、中世の物語や歌学書に記されたヲロチ退治神話の文献を収集できたため、ヲロチ退治神話の地域社会における受容の前提となる出雲系神話の変容の実態も明らかにされつつある。このように今年度までの時点で、この研究課題の目的である「ヲロチ退治を中心とした出雲系神話の成立と変容の解明」のうち、成立の歴史的基盤の解明については遅れているが、変容の過程の解明については順調に進んでいる。よって、現在までの進捗状況について自己点検では「やや遅れている」という評価ができると考えた。
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今後の研究の推進方策 |
これまでの研究により、ヲロチ退治の舞台となった中国地方山間部の研究はやや遅れているものの一定の成果を上げている。しかし、ヲロチ退治神話の舞台は中国地方山間部だけではなく、日本海西部にも広がっている。 たとえば、『日本書紀』には、スサノヲが高天原から追放された後、朝鮮半島の新羅国に降り、そこから出雲国へと向かい鳥上峯に到着したという神話が記されているが、スサノヲが朝鮮半島から日本に上陸した場所として、石見国が神話の舞台とされている。より具体的に述べると島根県大田市に「五十猛」という地名が残されているが、これはスサノヲの子イタケルに因む地名である。大田市大浦海岸にはスサノヲやイタケルの伝承地として、「神島」・「神上」・「薬師山」・「神別れ坂」・「逢浜」・「唐松が曽根」などの地名が残されており、「五十猛神社」・「韓神新羅神社」などの渡来系の神々を祭る神社もある。スサノヲの上陸地点の伝承地としては、他にも山口県萩市に須佐町が存在する。 このように日本海西部にスサノヲが異国から渡来したという伝承が残されていることの意味を解明することは、出雲系神話であるスサノヲ神話を日本だけではなく東アジアの観点から見直すことにつながる。そこで、島根県大田市五十猛と山口県萩市須佐をフィールドに現地調査を実施する。この調査に際しては、大陸との交流の実態についての解明が必要となるが、これについては、出雲山間部と異なり考古学的アプローチも可能であるという指摘が研究協力員である仁木聡氏により示されたので、島根県石見地方や山口県萩市域の潟湖と古墳及び『延喜式』に記された神社との関わりについても注意したい。関連して近世石見国や周防国の地誌類の調査も行い、スサノヲ神話関係の記述を摘出し分析を加える予定である。
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