本研究では、戦国時代の地方文化の代表格とされる今川文芸を検討し、(1)今川氏の内では、文事に心を懸けるという動向と、文事を抑えて武事を優先する動向があり、今川義元の時代には、この2つのせめぎ合いが見られることを明らかにした。また(2)16世紀京都の鞠会の事例を一覧化し、同地における鞠会の展開過程を明らかにした。 戦国時代の政治状況からすれば、(1)の指摘は今川氏にのみ当てはまるものではなく、他の戦国時代の地域権力においても広く見られる可能性が高いと考えられる。また(2)の成果は、京都に限定されるとは言え、室町・戦国時代の蹴鞠史の展開をとらえるための土台が出来たことを意味する。
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