令和2年度は、平成30年度・令和元年度の研究成果を踏まえ、①日本古代における「荘園」とはどのような土地だったのか、②古代の「庄」の特質はどのように捉えることができるか、③従来の荘園研究で取り上げられてきた初期荘園は、古代の「庄」の中でどのように位置付けられるか、という点について考察した。その結果は、以下のようにまとめられる。 (A)現存する史料における「荘園(庄薗)」という語の初見は、10世紀である。したがって、従来の研究では、「荘園」の語について、律令制に基づくものではなく、大土地所有制が進展する実態の中から用いられるようになったものと理解されているようであるが、日本の史料に「荘園」の語が現れるよりも早く中国・唐の史料に「荘園」の事例が見られる。したがって、「荘園」は日本独自の語ではなく、唐の「荘園」に関する知識に基づいて用いられた語と見るべきである。 (B)日本の史料では、ある荘園を特定せず「荘園一般」を指す場合には「荘園」の語が用いられるが、個々の荘園は「(地名)+庄(荘)」と称される。この「(地名)+庄」で呼ばれる土地は、「荘園」の語が使われる前から史料上に見られるものであり、9世紀以前の「庄」には後代の「荘園」の初期的形態とも解すべき大規模な農地経営の事例が存する。現在の学界で「初期荘園」と呼ばれる土地は、9世紀以前の「庄」と呼ばれた農地で、特に墾田や野地(開墾予定地)を含むものである、と定義することができる。 (C)「庄」とは、倉屋などの建物を伴い、物品の調達・運送や穀物の収納など、農耕に限らず幅広い経済活動の拠点として機能した私的領有地であり、それらのうち、農耕の拠点として設けられ農地を含むものが「荘園」である。古代の史料に見られる「庄」の全てが「荘園」であるとは限らない点、また、農地ではないために従来の研究で捨象されてきた「庄」が存在する点には留意すべきである。
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