基礎作業として、熊野灘沿岸(熊野市、御浜町、尾鷲市)及び志摩半島(鳥羽市、志摩市)、また北勢地域(いなべ市)の史料調査を継続的に行い、情報の集約を図った。 海を基盤とするなりわいの山野との連関をめぐっては、前近代の鳥羽・志摩海女と韓国済州島の海女漁との比較検討のなかで行い、主に素潜り漁を営みつつも、出漁できない時期や日時には畑仕事などに従事する、労働のサイクルの共通性を見出した。この問題をめぐっては、平成30年9月に鳥羽市立海の博物館(海女研究センター)で開催した国立歴史民俗博物館「日本列島社会の歴史とジェンダー」共同研究グループ(代表・横山百合子教授)との共催による「女性労働と身体イメージー海女・織布・手芸」において概要を報告し、その成果は『三重大史学』19号に、アン・ミジョン氏の著作『済州島海女の民俗誌』の書評として公表した。なお、この分析作業を通して、領主の身分編制等の枠組みもあり仕事を専業化しがちな男に対して、家事・育児をしつつ様々ななりわいを営む女の方が「複業」的に働いていたのではないか、という論点を見出すことができた。 海と同様に共有地としての特性を持つ入会山については、現三重県北部に位置するいなべ市北勢町治田地区の入会地を対象に、関連史料を集成し解説を施した報告書を作成した。当地は近世初頭以来、銀銅鉱山の産出で賑わった地だが、江戸時代後期には農耕作用の安価な肥料として重宝された石灰の産出が増加し、山の持つ意味も変わっていく。自家用の肥料程度だったものが焼成により商品化されるに従い、その権利を巡り近代に掛けて入会権者組合、財産区が結成されていく過程を史料から跡付けた。 これらの分析は未だ個別事例に止まっているが、共同体の共有空間をめぐる動き、その近世から近代に掛けての変容という共通項を基軸に、総合的に検討することを構想中である。
|