研究課題/領域番号 |
18K00963
|
研究機関 | 広島大学 |
研究代表者 |
西別府 元日 広島大学, 人間社会科学研究科(文), 名誉教授 (50136769)
|
研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2024-03-31
|
キーワード | 駅家 / 古代山陽道 / 宇佐使 / 大神宝使 / 駅家雑事 / 西国街道 / 供給 / 宿 |
研究実績の概要 |
2022年度は、本来最終年度として、成果を整理のうえでまとめをすべき年度であるが、4年間が当初の目的と計画にそった調査研究を殆ど実施できなかったため、その修正を図るべき年度であった。当初の計画みなおし等をほとんど実行できずに、コロナ流行第7波の兆候があらわれた7月には、準備してきた対象地域の踏査などを延期・段念し、鎌倉期の公的使節、とりわけ朝廷からの使者にたいする「供給」を諸国に指示した事例を文献から収集することによって、平安後期に実態化していたと思われる公卿勅使・駅家雑事の実態的史料を収集するという方向へ研究を修正し、『吾妻鏡』『鎌倉遺文』などの文献調査へ大きく舵をきることとした。現在までに、前者については全4巻(『国史大系』本)に眼をとおし、後者については全40巻のうち、24巻を調査しえた。その結果、後者については朝廷からの公的使者の派遣にともなう「供給」指示をともなう指令が弘安期から激減する一方、譲り状その他の権益譲渡関係史料が増大することを確認した。蒙古襲来を契機とした社会制度の本質的転換にかかわるものなのか否か調査を急いでいるところである。こうした文献調査の過程で、従来の駅制的「供給」の変化の一形態として「荘園」制的枠組みが利用され、それにともなって地域の交通体系に変化が見られたのではないかという見通しのもと地域(具体的には居住地周辺の市・郡レベル)の調査を実施し、その文章化を進めている。 一方、駅家から「宿」へという、「供給」提供主体の変化を追究する視点からの研究は、思うような展開が実現していない。その要因は、いうまでもなく対象地域のフィールド調査が、十分に展開できない状況にあるとともに、古代・中世の主要道の経路上の推移が確定しがたいことに起因するのではないかという問題意識が、今年度、何とか踏査を実現できた近江国や陸奥国南部の事例からうまれている。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
最初の研究計画に述べた、課題を追究するためのフィールドワークとデスクワークの結合という研究方向と手法が、18年豪雨によって居住地域が全国的交通体系から孤立したことや、コロナ蔓延、踏査中の事故によってほとんど実現できず、考察の材料や方法など追究の枠組みを当初の計画から大きく変更せざるをえなかったためである。具体的には、1年目は、従来からの研究で個人的に認識していた地域の事例を、再確認的に調査し、その変化や体系化を図ることができ、その成果も公表したが、主目的としていたデスクワーク、とりわけマスコミ情報等による事例収集作業による、律令的交通体系の実態や中世的交通体系の実態を抽出・収集する作業は、補助的作業をお願いする対象である学部生・院生などとの接触ができず、授業休講などによって在学している学生の登校が激減し、また研究代表者自身が大学に籍を有していないため、大学校舎や図書館に立ち入ることが制限される時期が多くあった。まがりなりにもその作業が実態的にすすめられたのは、3年目の終盤に入ったころでであった。また、入院・リハビリなど個人的に外出・旅行が不可能な状況も発生するとともに、科学研究費補助事業の採否が決定する以前に約束していた広島県域の文化財に関する研究(とくに交通体系の検討を核にすえての追究が必要な研究課題であった)について時間を割かざるをえない状態におちいっていたことも、遅延の原因のひとつであったとも考える。 課題研究に入る以前に個人的に把握していた、古代交通の実態と中世的交通実態が掌握可能な地域についても、その地域の踏査はいうまでもなく、現地の図書館・資料館などへの移動でさえも、たびたびのコロナ非常事態宣言の発令などによる休館などもあって中止・断念せざるをえないことも多々あり、計画をたてる目処さえたたず、焦燥感に苛まれることも度々であった。
|
今後の研究の推進方策 |
初年度の豪雨により居住地域が全国的な交通体系から孤立したことは、最初の想定外の事態であったが、過去の集積したデーターや素材を見直すことで、一地域社会の交通体系の変化を見つめ直すうえでの、カンフル剤となったようにも考えるが、コロナ感染が本格的に拡大し、研究の遂行に支障が出るようになった第2年度後半から第3年度には、その視点を深化させ、地域社会の交通体制の変換について、古代社会の実相や中世社会の構造を踏まえながら、小地域の交通体制や経路の変更を追究し、地域社会そのものの変化を考えるという大きな枠組と方法論を確立することができた。こうした視点や方法論は、現在執筆している論稿によって、少しずつ深化・確立することができたように思う。こうした方法論や枠組み設定の有効性が、過去30年余のなかで収集することができた各地の交通体系の変化をしめす事例を検討するうえでも適応できるかどうかは、今後の大きな課題と考えている。とくに収集したデーター・事例を、種々の視点から分類整理し、いくつかパターン化していくことが必要と考えている。そのためには、種々の事例のなかで、代表的な地域・地点についての『資史料編』など文字史料を編纂した自治体史などの刊行物のみならず、考古学的視点にたった埋蔵文化財調査報告書や「歴史の道」調査報告などの、収集・分析が課題になるといえよう。そうした作業は、個々人の力では限度があるようにも考えるが、個人的には、現在進めている安芸国内の不十分かつ未解決の課題を、丹念に考究しなおしていくことが重要だと考えている。またそのためには、山陽道の大山峠など、シンボリックな史跡について、現代の理化学的な各種手法を導入しながら、その実態的な姿を明らかにしておくことが重要であると考える。こうした作業が、各地における「歴史の道」を、市民社会の生活部分に実体的に組みこんでいく手立てとなるように考える。
|
次年度使用額が生じた理由 |
「次年度使用額」の大半は、自然災害にともなう交通体系の混乱やコロナ感染拡大・非常事態宣言にともなう移動自粛などによって、関東・関西における資史料の調査・収集や、東海(三重や愛知)・東山(滋賀・岐阜)等の現地調査等が不可能となり、旅費や複写費等の未使用などが累積することによって生じたものある。とりわけ、19年度終盤からの8波におよぶ、コロナウィルス感染拡大によって、公共交通機関を利用しての県外への移動を自粛せざるをえない状況に追いこまれたため、現地調査や文献資料の収集などが不可能となり、これらに要する旅費・謝礼・複写費等を十二分に執行できず、むしろ累積していったと考える。また、基礎的データーの収集に資する人件費等も、20年前半から21年はその主要な担い手である学生・院生等の出校停止、代表者の入校制限などで、その募集さえままならず、雇用の時期・人数その他がうまく設定できず円滑な執行が実現できなかったためである。総額としては単年度では執行しえない額となっているが、「今後の推進方策」にも記したように、地域交通におけるシンボリックな存在となっている「史跡」「歴史的景観」の実像・実態を、理化学的な手法によって明確にするとともに、その成果の共有化をはかる施策を現在模索している。
|