研究課題/領域番号 |
18K00970
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研究機関 | 長崎県立大学 |
研究代表者 |
松尾 晋一 長崎県立大学, 地域創造学部, 教授 (40453237)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | アヘン戦争 / 東アジア / 情報 / 対外政策 / 長崎 / 水野忠邦 / 開国 / 開港 |
研究実績の概要 |
本研究の目的は、19世紀中葉に対馬から伝わった清・朝鮮情報が日本に流通していくメカニズムを解明し、その上で幕府・大名家による海外情報の受容と反応を史料から読み解き、「東アジア情勢」対「日本」の構図で日本の政治的反応の展開を検証することにある。 本年度は、19世紀中葉の状況を宗家文書や朝鮮御用老中関係史料などの分析を通じて、宗家の海外情報収集のあり方や幕府への情報伝達といった諜報活動の復元を試み、その上で、対馬宗家が担った日朝外交のなかでの海外情報取り扱いの特質を明らかにすること。そして、この成果と日本の開国・開港(横浜・箱館など)の動きを踏まえて、アヘン戦争に関する情報の分析を試みた。 前者については予定していた韓国国史編纂委員会への調査ができなかったことから研究成果を発表するまでには至らなかったが、朝・仏関係情報の分析などを進めた。後者については、つぎの二点を明らかにした。①文久2年(1862)日英関係が悪化して一触即発の状況になる。その混乱は横浜だけではなく長崎も同様で、長崎奉行の統治が機能しない段階までに至っていたことが明らかになった(「薩英戦争と長崎」「列強との緊張と長崎」)。②水野忠邦は長崎からのアヘン戦争情報のみで無二念打払令から薪水給与令への転換を判断し、その後も朝鮮-対馬ルート、および琉球-薩摩ルートの機能を活かそうとしなかった。これ以前、明清交替、朱一貴の乱(台湾)の情報に接した幕府は、他のルートから情報を状況の把握を試みた。こうした点をふまえると、アヘン戦争情報に対する日本の反応は、水野忠邦の対外観によるところが強かったと考えられる(松尾晋一「アヘン戦争情報と幕府対外政策」『東アジア評論』11号、長崎県立大学東アジア研究所)。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
韓国への調査を予定していたが、時間をとることができず実施できなかった。したがって、19世紀中葉の状況を宗家文書や朝鮮御用老中関係史料などの分析結果を論文にまとめるところまでには至らなかった。しかし、アヘン戦争に関する情報の国内流入と流入ルートごとの情報の特質とそれが持つ国内政治への影響が解明できた点は大きな収穫であり、おおむね研究は順調に進展している。
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今後の研究の推進方策 |
昨年度行う予定であった調査および分析のまとめを行いつつ、計画書の内容に沿った研究を目指す。
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次年度使用額が生じた理由 |
韓国への調査を予定していたが、時間をとることができず実施できなかった。
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