研究課題/領域番号 |
18K00976
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研究機関 | 京都産業大学 |
研究代表者 |
吉野 秋二 京都産業大学, 文化学部, 教授 (50403324)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 山城 / 古代寺院 / 古代氏族 / 寺社史料 / 地域史 / 開発史 / 学際的研究 |
研究実績の概要 |
本研究は、古墳時代~平安時代、山城(背)北部地域(現在の京都市域)を主たる対象として、諸氏族を主体とする地域開発の史的展開を考察し、評価するものである。古代地域開発史研究は、都城制論、村落論を中心に重厚な研究史をもつ。本研究では、長岡京・平安京遷都の前後を通じて、山城北部の地域開発を多角的に考察し、両者の総合を目指す。 本年度は、まず山城国愛宕郡域の古代氏族について、口頭報告「「上京」と出雲寺・御霊神社―平安京近郊の地域形成―」(日本史研究会2018年4月例会)、口頭報告「愛宕郡の氏族と古代寺院」(古代寺院史研究会第47回例会)を行った。前者は、賀茂川西岸を本拠地とした出雲氏・賀茂氏に焦点をあてたものである。出雲寺・御霊神社を中心に、古代出雲郷域の変容を、北方の賀茂六郷のそれとあわせて、江戸時代から奈良時代へ遡源して考察した。後者は、賀茂川東域に分布する古代寺院跡の造営氏族、特に北白川廃寺跡の造営氏族について考察したものである。北白川廃寺=「粟田寺」説の根拠史料を、角田文衛など先行研究が捨象したものも含め詳細に検討した。 また、讃岐国多度郡の地域開発について、口頭報告「古代・中世讃岐平野の寺院と開発」を行った。郡領氏族佐伯氏による善通寺周辺地域の地域開発を「善通寺近傍絵図」の評価に焦点をあて中世から古代へと遡源的に追究した。 なお、奈良時代~平安前期における災異と都城との関係について、「平城京における災異と救済」(『都城制研究』13)を執筆し、薬師悔過・御霊会などの宗教的事象も含め、古代都市社会の変容について理解を深めた。また、平安京右京三条三坊五町跡で出土した墨書土器の意義について、「墨書土器と文献史料」(『京都市埋蔵文化財研究所発掘調査報告』2017-15)を執筆した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究は、古墳時代~平安時代、山城(背)北部地域(現在の京都市域)を主たる対象として、諸氏族を主体とする地域開発の史的展開を考察し、評価するものである。当初計画では、概ね2018年度は賀茂氏居住地域(愛宕郡西北部)、2019年度は秦氏居住地域(葛野郡・紀伊郡域)、2020年度は小野氏・出雲氏居住地域(愛宕郡東北部・西南部)を対象とし、最終2021年度は補足調査とまとめに充当する当初計画であった。 本年度は、賀茂氏・出雲氏について口頭報告「「上京」と出雲寺・御霊神社―平安京近郊の地域形成―」、小野氏、粟田氏について口頭報告「愛宕郡の氏族と古代寺院」「愛宕郡の氏族と古代寺院」を行った。特に出雲氏について、出雲寺・御霊神社の変遷を中心に、中近世史料も含め考察することができた。また、平安時代以後の平安京近郊地域の地域形成についても、賀茂氏居住地域と出雲氏居住地域を比較・検討し、理解を深めることができた。口頭報告の準備過程で、上賀茂神社・下鴨神社・御霊神社・出雲寺関係の寺社史料、対象地域の発掘調査報告書等について史資料の蒐集、分析作業を実施した。口頭報告の際には、最新の発掘調査成果について、埋蔵文化財研究者などと情報交換を行った。 また、古代氏族全般の地域開発については、口頭報告「古代・中世讃岐平野の寺院と開発」において讃岐国多度郡善通寺周辺地域をフィールドとして考察し、郡領氏族佐伯氏の転成の過程を解明することができた。香川県の埋蔵文化財関係者とも情報交換を行い、最新の発掘調査成果について理解を深めた。 なお本研究とリンクする都城制研究についても、「平城京における災異と救済」(『都城制研究』13)など、都城・周辺地域の地域社会論と連関する成果を残すことができた。 以上、当初計画と若干内容は異なるものの、順調に研究を推進できた。
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今後の研究の推進方策 |
平成31年度は、秦氏居住地域(葛野郡・紀伊郡域)を主たる対象に研究を行う。 秦氏に関して、研究代表者は、既に「平安前期の広隆寺と周辺所領」(『古代文化』第64巻第3号、2012年)を執筆し、広隆寺の膝下所領(葛野郡太秦など)経営の実態を解明している。また、口頭報告「山背の行基寺院」(2010年、第13回古代寺院史研究会)を行い、紀伊郡法禅院を中心に山城の行基寺院と秦氏との関連について考察している。平成31年度は、後者「山背の行基寺院」に関して、学術論文を執筆する予定で準備を進めている。 葛野郡嵯峨野地域に関しては、既に金田章裕「平安初期における嵯峨野の開発と条里プラン」(『条里と村落の歴史地理学研究』大明堂、1985年、初出1978年)が、「山城国葛野郡班田図」を解析し開発史を俯瞰している。紀伊郡に関しては、須磨千穎『荘園の在地構造と経営』(吉川弘文館、2005年)が条里復原など基礎作業を行なっている。平成31年度は、これらを踏まえ、葛野郡・紀伊郡域の秦氏の地域開発を考察する。葛野郡域に関しては、広隆寺に加え松尾大社などの寺社史料、『平安遺文』収録の平安期の売券類を活用し、秦氏の居住状況、田畑の分布等を考察する。桂川右岸(西岸)については、上桂荘など東寺領荘園に関する研究を踏まえ、遡源的に地域開発を復原する。紀伊郡に関しては、伏見大社関係史料に加え、「平安京跡左京九条三坊十町(施薬院御倉跡)出土の木簡」(『古代文化』第67巻第2号、2015年)で活用した九条家文書なども精査する。その上で、発掘調査成果の通覧、地籍図、地図史料の蒐集・検討、現地踏査を行う。 なお、賀茂氏・出雲氏に関する研究の一環として、伊勢神宮(三重県)周辺、日前神社・国懸神社(和歌山県)周辺の神郡故地、出雲大社(島根県)周辺域などで、史料調査、現地踏査を行う予定である。
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