本年度は出土簡牘のなかでも岳麓秦簡「秦律令」に見える監察関係史料の収集と分析を主たる作業とした。既に2013年に出版された岳麓秦簡「為獄等状四種」において、秦代の郡レベルの地方監察官である「監御史」の史料が出現していたが、2015年、17年、20年に出版された岳麓秦簡「秦律令」によって、史料がさらに増加した。この新出史料に基づき、本年度は「秦代の御史と監御史」(『東洋史研究』80-4、2022年3月)を公刊することができた。この論考は本科研の集大成的な意味合いをも持つもので、監御史の出現・定着の歴史を復元しつつ、秦代におけるその官制的役割について論じた。その内容はあらまし次の通りである。元来、秦の地方監察は御史が臨時任務として行っていたが、前4世紀後半に秦が関中外に領域を拡げて郡が増加すると、恒常的な監察の必要性が高まり、そこで監御史が常駐の官として設置されるようになった。監御史は郡県官吏の弾劾を主たる職務としたが、監御史自身は裁判を実施せず、また郡県の過失に責任を負うことはなかった。この意味で監御史は純然たる「監察官」にとどまったと言える。これと対照的なのが「執法」と呼ばれる地方監察官であり、執法は自ら裁判を実施し判決を下す権限を有した。以上のように、監御史の歴史と職掌、とりわけその限界を論じ、秦代監察制度の特質を明らかにした点が本論考の成果である。 しかしながら、本科研においては漢代に至る監察制度の歴史を十分に実証的に論じきれていない点が課題として残った。特に、「郡」における官制――郡守・郡尉・監御史・執法の各府の並立によって構成される――について秦から前漢中期までを視野に入れて論じる必要があったが、前述の論考においては展望を示すのみにとどまった。そこで秦漢の通史的官制史を復元すべく、次年度以降、新たな課題として「郡」の研究を設定し、検討を続けることとした。
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