ヴェトナム前近代法制史においては二つの通説とされている事柄、①15世紀前半に成立したヴェトナム黎朝の根本法『国朝刑律』が、黎朝前期の最盛期を築いた5代聖宗期(1460-97)の「洪徳律」に概ね基づくものである、②「黎朝根本法」すなわち『国朝刑律』とそれに続く「阮朝根本法」である『皇越律例』には大きな「断絶性」がある、が存在する。 本研究では『国朝刑律』は廃止の可能性があったこと、既に黎朝後期には根本法の実態を有していなかったことを明らかにし、ついで黎朝後期の他の法令集と明清法との比較分析を行うことにより、明清法の影響力の大きさを示し、新しいヴェトナム前近代法制史像を構築することが目的であった。 かつてフランス極東学院が収集した典籍を保管している漢喃研究院には、同時代に単発的に発布された法令を集めた政書の存在がいくつか知られる。莫氏が聖宗期に新たに公布された法令を集めた『洪徳善政』、黎朝後期の『国朝洪徳年間諸供体式』、『国朝詔令善政』などがその一例である。そしてそれらの中にはやはり聖宗期の追加法を収集したものがいくつか見られる。これらの法は明律及びその追加法(問刑条例)の影響を受けたものが多く、やはり『国朝刑律』とは相容れず、結果として名目上の根本法と、根本法と理念を異にする条文を含む追加の法令が混在していたと考えるのが妥当であろう。 今年度は『国朝刑律』と年代記である『大越史記全書』、それに黎朝期の追加法令にみられる明律の「充軍」刑に着目し、結局黎朝の為政者がその特殊な運用法を理解しないまま、自国の法律に組み込み、やがて黎朝後期(中国では問題後半から清代に相当)にはその刑自体が事実上運用されず、阮朝期には完全に廃止されたこと、すなわち、黎朝後期の法令集は、国初の『国朝刑律』よりも、阮朝期の『皇越律例』ないし中国律により親和性が高い可能性を論文にて公開した。
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