研究課題/領域番号 |
18K01002
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研究機関 | 国際基督教大学 |
研究代表者 |
菊池 秀明 国際基督教大学, 教養学部, 教授 (20257588)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 太平天国 / 曽国藩(湘軍) / 地方分権 / 李鴻章(淮軍) / 督撫重権 / 分裂主義 |
研究実績の概要 |
本年度は課題の初年度として、太平天国の全体像に関する再検討に重点を置いた。そして太平天国を皇帝の称号を否定し、諸王からなる分権的な統治を構想した「封建王朝」として捉える視点を提起した。この地方による分権的な統治は曽国藩の湘軍、李鴻章の淮軍もめざしていたものであり、その実太平天国とこれらの軍事勢力は激しく対立したものの、その特質には共通点が多いことが確認された。 次に曽国藩と李鴻章については、彼らと清朝権力との関係が大きな焦点となった。曽国藩は漢人勢力の台頭を警戒する清朝政府によって常に警戒され、太平天国後は湘軍を解散して粛清される危険を免れようとしたが、逆に軍事力を背景とする政治力とくに外国勢力に対抗できる力量を喪失した。後発の李鴻章はこの点、淮軍を温存し、自らの政治資本とした。だが淮軍は北洋軍として中国の対外戦争を担うことになり、日清戦争で敗北することになる。また中央官僚となった李鴻章自身も地方の権限拡大に努めることが出来なかった。 太平天国自身についてみれば、皇帝の称号を否定したものの、洪秀全は救世主としての宗教的権威に固執した。また五人の王の中でシャーマンだった楊秀清は、上帝ヤハウエの代言人となることで政治、軍事的権限を独占し、他の王たちの不満を招いた。その結果天京事変が発生し、上帝のもとでの封建王朝の試みは挫折した。天京事変後の中央政府の求心力の低下は、地方に基盤をおいた諸王の軍事的自立傾向を生んだ。洪秀全らは権限を中央に集める措置を図ったが成功せず、結果として指揮の混乱を招いて太平天国は滅亡した。 この過程はさらに実証的に検証する必要があり、今年度はそ準備として史料の整理を行った。また中国で『太平天国史料匯編』(全40冊)が公刊されたため、これを購入して未見史料の分析を進めた。今後は出版を意識しながら、アウトラインの検証作業を引き続き行う予定である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
前課題の最終年度と重複したため
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今後の研究の推進方策 |
次年度は本課題に集中して取り組む。また研究成果の発信に重点を置く予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
前課題の達成のため、そちらの残額を使用することに重点を置いたため。
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