本研究では、領邦上オーストリアに存在したリンツ・ギムナジウムが、貴族を中心とする聖俗エリート層の育成においてどのような役割を果たしたのかを明らかにし、領邦上オーストリアの発展やハプスブルク君主国の統合とどのような関係があったのかを検討する。具体的には19世紀前半という国家による学校管理が強化された時期において、リンツ・ギムナジウムにどのような者が入学し、卒業後どのような活動をしたのかをデータとして明確にし、彼らの活動範囲が領邦に留まるのか、それとも君主国全体に及ぶのかを調査を行い、そのデータの取りまとめ作業を進めた。 また、前年度までの研究成果である、リンツの領邦学校(イエズス会ギムナジウム)が16世紀から18世紀までどのような組織的変遷を辿ったのか、その原因となった中央からの「中等教育」改革が何を意図していたのかということと、19世紀以降のリンツ・ギムナジウムに関する研究成果を統合することで、近世から近代に至るリンツ・ギムナジウムについて考察を深めた。これにより、これまで顧みられることがなかった地方の「中・高等教育」が持つ役割や意義を示すことができ、国家による教育の中央集権化とは異なる学校制度の発展が明らかとなった。
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