最終年度は主として2つの研究を進めた。1つ目は、16世紀前半のフランス行政における書記の台頭について分析を行った。「公証人兼書記」や「秘書」と呼ばれる近世初期の書記たちは、大貴族でも「官僚」でもなく、ささやかな筆耕者でもなかった。文書行政の進展と行政機構の複雑化、官職保有者の増加という動向の中で、彼らは議事録をはじめ文書作成にかかわる多様な実務を担い、その結果宮廷や国政で重要な位置を占めるようになっていったのである。上昇志向の強い地方都市エリートが文書作成能力を「武器」に宮廷への足掛かりを得る時、彼らは自身の影響下に置くことのできる在地エリートや親類縁者を後継者とし、職務の継続を保障するのみならず自身の影響力を地方に残した。また宮廷で出世した後出身都市に戻ることで、宮廷と地方を媒介する有益な中継役として活躍することもあった。書記は、王権が担う行政が拡大する一方で、常設の行政機関は未成熟であり、人脈や親族関係に依存するかたちで王国統治が維持されていたこの時代の両義性を体現したのである。この研究についてはフランス絶対主義研究会にて、「16世紀フランス国王の「秘書」――家政と行政の狭間から――」と題する小報告を行った。 2つ目は王母カトリーヌ・ド・メディシスの書簡集の研究である。カトリーヌは生涯1万~3万通の書簡を書いたと言われるが、このうち約6千通の書簡が19世紀末以降Documents ineditsシリーズの刊行史料集として集大成され、彼女自身とともに彼女が経験したこの複雑な時代を知る貴重な手がかりを与えている。文通ネットワークから見えてくる人脈と近世国家の外交、国内政治における政治的意志決定過程、16世紀において女性が「書く」ことの意味、カトリーヌの「黒い伝説」と書簡の中身の間にあるギャップについて分析し、著書の一節として発表した。
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