1933年から第二次世界大戦中の41年までにドイツから出国したユダヤ人は約27万人であり、その内5万人強はパレスチナに向かった。その多くは非シオニストで、イスラエル建国(1948)以前にはドイツ人も住み、ナチ党の支部すらあった。ここは彼らには「新たな離散の地(Diaspora)」だったとは言えまいか。そこで彼らは、どのような生活を送ったのか。本研究は、21世紀になって出版され始めた回顧録やイスラエルの文書館史料、当時の独語定期刊行物やハンブルク大学やヘブライ大学オーラルヒストリー部局のインタビュー資料も利用して、その解明を試みた。 本研究の研究実施計画の前半(2年間)では、主に活字史料や研究文献、回想録等の収集と読解・分析を行った。後半(3年間)は、まず、インターネットで公開されているヘブライ大学のインタビュー資料の一部を収集した。次に、入手した回想録や書簡集、後述のマイクロ史料の分析も含めて、学会報告を3回行った。最終年度は、現地で当時発刊されていた独語の日・月刊紙に関して、マイクロフィッシュ史料のpdf化作業と読解を進めた。また2023年2月に、海外旅費によって、ハンブルク大学現代史研究所、ゲルマニア・ユダイカ(ケルン)、ベルリン工科大学反ユダヤ主義研究センターで史料収集を行った。更に、21年3月に西日本ドイツ現代史学会で報告した内容を元に、研究論文を1編発表し、23年2月のドイツでの収集史料も含めた分析成果を、同年3月11日の日本ユダヤ学会で報告した。 以上の結果、彼らがパレスチナ・ユダヤ人社会内でもドイツ文化をなお保持するマイノリティであり、彼らにとってはパレスチナも、一時的避難地ではなく、ドイツ・ユダヤ人社会が文化移転で保持された地域であった、という仮説の証明に明確に近づいた。この点は、今後も現地でのドイツ語定期刊行物の内容分析を進めて更に実証する。
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