研究課題/領域番号 |
18K01046
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研究機関 | 武蔵大学 |
研究代表者 |
平野 千果子 武蔵大学, 人文学部, 教授 (00319419)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | マイノリティ / 黒人 / フランス史 / 国民史 / 歴史認識 / ナポレオン / 仏領カリブ海 / ジェンダー |
研究実績の概要 |
2018年度は二点の論考を刊行した。一点目は東京都庭園美術館主催の展覧会「エキゾティックXモダン――アール・デコと異郷へのまなざし」のカタログに掲載された「戦間期フランスとパリ国際植民地博覧会」である。本展覧会は、これまで日本に十分紹介されてこなかった1931年のパリ国際植民地博覧会を中心に、戦間期のフランスにおける新たな文化的事象を扱ったものである。第一次世界大戦後のフランスには、ヨーロッパの外から新しい文化がもたらされ、とくに植民地の文物は当時のフランス社会に小さからぬ影響を与えた。2014年に刊行した『アフリカを活用する――フランス植民地からみた第一次世界大戦』で取り上げた、シトロエンの二度にわたるアフリカ走破にまつわる展示もあり、フランス史から視野を外に広げるという問題意識が、こうした展覧会に貢献することにつながった。 二点目は、1802年に騒乱のあった奴隷植民地グアドループを素材とした論考「ナポレオン期の奴隷植民地グアドループ――周縁部をめぐる歴史の語り」である。この時期をめぐって従来は、革命勃発後に奴隷が蜂起したサン=ドマングがおもな探究の対象だった。革命で人権宣言が採択されたにもかかわらず、奴隷身分のままに据え置かれた奴隷たちの蜂起が、革命の理念と現実の乖離を浮き彫りにするからである。 しかしサン=ドマングは1804年に史上初の黒人共和国ハイチとして独立するのだが、独立というのはフランス領植民地のなかでは例外的で、これ以外の奴隷植民地はいずれも今日なおフランス領に留まっている。グアドループというフランス周縁の地の一連の蜂起・騒乱が、本国の「国民史」においていかに語られているかといった考察は、本研究で重要な論点である。加えて、蜂起にかかわった女性として唯一知られているソリチュードを主人公とした小説を取り上げて、ジェンダーの問題にも踏み込めたことは一つの成果であった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
本研究は、植民地などフランスの周辺に位置する地域の歴史が、今日の本国史においていかに語られているか、そうした地域がフランス国民史にどのような位置を占めるかという歴史認識にかかわる問題から出発したものである。とくに本研究では、日本におけるフランス史研究で、奴隷制や奴隷貿易を除けばほとんど取り上げられていない「黒人」に注目することを、一つの論点として設定している。すでにフランス革命期を遡る時期の黒人に関しては論考をまとめており、2018年度はそれに続く時代として、革命期からナポレオン期に焦点を当てる手はずであった。それは実績に記載したように、グアドループを舞台とする歴史に関する論考としてまとめることができた。 それに際して、蜂起に参加したソリチュードという女性を主人公としたアンドレ・シュヴァルツ=バルトの小説『混血女性ソリチュード』(1972年)を分析の対象としたが、これは本研究に新たな視点をもたらした。植民地などの周縁部は、本国史ではいわば取り外し可能な従属的な位置づけである場合が多い。さらに植民地の女性となると史料の問題もあって、掘り下げた探究は困難なのが現状である。しかし埋もれていた歴史を掘り起こしつつ、第二次世界大戦後にこのような小説が書かれていたことは、歴史の語りを考える上でも大きな意味をもつ。ジェンダーを主要テーマに設定していない本研究にとっても、新たな可能性を示唆するものとなった。しかも作者はポーランド生まれのユダヤ系である。マイノリティの間の不毛な対立の目立つ今日の社会では、フランスの国民統合が改めて問い直されている。そうしたなかで『ソリチュード』のような小説が再評価されていることは、現状を打破する一つの手がかりになると思われる。 また展覧会に微力ながら協力できたことは、本研究の視点が社会に貢献しうることを示したものと考えている。今後もそうした方向を模索したい。
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今後の研究の推進方策 |
2019年度には、二つの大きな目標を設定している。第一に、黒人に注目する歴史研究として、ナポレオン期以降、20世紀までのやや長いスパンを取って、カリブ海の状況を把握することである。この地では19世紀に入ると奴隷制廃止運動が本格化し、1848年に実現する。現地の次なる目標は独立ではなく、フランス本国と同等の権利を求めること、換言すれば本国への「同化」を求めることとなった。奴隷制廃止運動などの大きな展開はすでにこれまでも何度か扱ってきたが、より具体的に奴隷身分から解放された人びとの移動をともなう動きを探究していきたい。たとえば彼らの「ディアスポラ」的な移動をめぐる考察は、今日のフランスにみられる多民族共生社会の一端を照らし出すものとなろう。 第二に、いわゆる「人種」問題やフランスにおける「人種観」の解析である。植民地や黒人をキーワードとする研究であれば、人種問題を避けては通れない。人種をめぐる研究にはすでに蓄積があり、屋上屋を架すことになるという見方もありうる。しかしフランス史で黒人が主要なテーマになってこなかったことを考えれば、その具体的な歴史と重ね合わせながら、改めて考察する必要があろう。とくに従来の黒人研究は、奴隷という存在に収斂する傾向があった。奴隷貿易や奴隷制は普遍的に重要な課題で、本研究でも意識しているところだが、奴隷制廃止後の時期に、そうした出自の人びとをめぐるまなざしがどう転変するのか、今後は見極めなければならない。 それにあたって、考慮すべき点が二点ある。まずは旧奴隷植民地に、インド系や中国系といった、さらに異なる人びとが労働者として到来すること、次いでフランスが新たにアフリカに進出し、面的支配を拡大することである。そうした状況はフランス本国にも「人種的」多様性をもたらしていくが、そのことは人種意識にどう影響するのか、やはり長めのスパンを取って考察を深めたい。
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