研究課題/領域番号 |
18K01046
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研究機関 | 武蔵大学 |
研究代表者 |
平野 千果子 武蔵大学, 人文学部, 教授 (00319419)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 国民史 / フランス史 / 歴史認識 / 人種 / 人種主義 / マイノリティ / 植民地史 / 黒人史 |
研究実績の概要 |
2021年度は、『人種主義の歴史』の執筆に多くの時間を費やした。本書は本科研研究の開始とほぼ同じ時期に企画化されたもので、コロンブスの大西洋横断の時代から現代まで、人種主義の歴史を通観したものである。思想的には古代にまで遡る論点も含まれる。黒人という存在に注目した本研究と直接呼応するテーマで、本書の完成は本研究の目標の一つとなった。新型コロナウイルスの蔓延で海外での資料調査が行えないという不利な面もあったが、デジタル資料を駆使することでおよその部分は補えた。年度内に脱稿できたのは大きな成果だった。 それに加えて2021年度は、これまで手掛けてきた小さな仕事がいくつか形になった。『論点・東洋史学』(ミネルヴァ書房)に掲載された「フランスのアフリカ支配――植民地支配は何をもたらしたか」はその一つである。本科研代表者は従来より、植民地支配をめぐるフランス、アフリカ双方の歴史認識をテーマにしてきたが、この項目では、第一次世界大戦への植民地兵の登用、戦間期の民族運動、および独立に向けた時期の仏・アフリカ双方の思惑の3つを論点として取り上げ、それぞれの歴史認識の概略を示すことができた。 また2019年に開催された人種主義のシンポジウムの成果をめぐって座談会が企画され、フランス人研究者二名、日本側の企画者と計四名で議論を交わすことができた。人種に関する専門家と最先端の知見に接する機会となった。その他、書評と新刊紹介を一点ずつ執筆する機会を得た。いずれも歴史認識の考察を深め、また視野を広げる一助となった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2021年度に向けては、3つの目標を立てていた。第1に人種主義の歴史についての執筆である。上述のように、当該年度に一冊の書物を脱稿することができ、長年の仕事に終止符を打つことができた(2022年度に『人種主義の歴史』として刊行予定)。最後に全体を見直すなかで最も気を遣った論点は、19世紀に形を成す人種理論である。当時いくつか公刊された書物は、取り上げる事象も記述内容も一様ではなく、思想的にはかなり時代を遡る必要もあって、最後まで修正を重ねた。また人種をめぐる諸問題は、領域横断的に考察され記述される。専門外の時代や分野に踏み込む必要は随所であったため、その確認にも時間を割くこととなった。 こうした作業の過程で、当該年度に向けた第3の目標であるジェンダーの視角も、ある程度織り込むことができたと考えている。人種は本来存在しないもので、そこに人びとが様々な基準で区別を持ち込むのが人種主義である。人種が存在しないのであれば、区別は時代によっても立場によっても、幾重にも形成される。その一つが歴史的には「女性」である。事実、人種に関する論者たちの書き物には、直接に女性(の「劣勢」)に言及しているものもある。ジェンダーという論点をどのように歴史書の記述に反映させるかについては、まだ定型があるわけではない。試行錯誤の段階ではあるが、一定の成果は出せたのではないか。 第2の課題は、本科研研究で進めてきた国民史の書き換えや歴史認識をめぐる論点を、中期的な将来に発展させるための方向性の模索である。2021年度の仕事のなかでは、座談会での議論や、書評などを執筆する過程で、これまでの知見をもとにある程度考察を深めることができたと考えている。
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今後の研究の推進方策 |
2021年度に執筆を終えた『人種主義の歴史』を一つの核として、2022年度には改めて「黒人」などマイノリティの問題に立ち返り、国民史の書き換えや歴史認識をめぐる論点をさらに発展させる方向性を見定めたい。すでに2020年度に「『世界のなかのフランス史』と植民地――「新しい市民」の視点から読む」(『思想』第1163号)を公にしているが、これも大きな手掛かりとなる。「新しい市民」が旧植民地に出自をもつ人びとであることは、言をまたない。 今後の目標としてより具体的には、従来の研究の蓄積の上に、第二次世界大戦後のフランス史を、「新しい市民」を含めて書き換えることがあげられる。これまでも戦後を射程とした多くの「フランス現代史」の書物が刊行されてきたが、植民地やヨーロッパ外の地域を出自とするマイノリティを含めた歴史書は、ほぼ見当たらない。そうした現状を考えれば、意義があるものになるはずである。 実はフランスの多様性に注目した歴史書が、第二次世界大戦後間もなくのフランスで執筆されていた。リュシヤン・フェーヴルとフランソワ・クルゼ共著で未刊行だった草稿が、2012年に『私たちは混血である』と題されて日の目を見たのである(アルバン・ミシェル社刊)。フランスが「混血」、つまり民族的にも文化的にも多様な要素が混じり合ったものであったことを、古代史から叙述している。ただしこの書のいう混血はヨーロッパ内部の要素である上、植民地支配については称揚する面があり、時代に追い越されている感は否めない。この書の趣旨を現代的視点から発展させることが、今日では求められている。人種主義の歴史を鳥瞰することで、近代の諸価値をめぐる再考の必要性が確認されたところでもあり、そうしたまなざしを、いわば通常の歴史の叙述に反映させる作業が次なる課題となる。そこにはジェンダーの視角をどう生かせるかという論点も含まれる。
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次年度使用額が生じた理由 |
2021年度は所属先の武蔵大学から一年間の在外研究のための時間を得ていたこともあり、8~9カ月間、ヨーロッパに滞在する予定だった。しかし新型コロナウイルスの蔓延により、長期の在外は困難となった。状況を見計らっていたところ、感染が小康状態になった秋にようやく一月間、フランスで過ごすことができた。その短い間に、ベルギーや南仏のボルドーなどの調査に赴く機会を得たものの、やはり感染状況が悪化して、早々に帰国することを余儀なくされた。在外研究の予算と考えていた科研費に次年度使用額が生じたのは、基本的にこの理由による。 また研究期間も一年間、延長となったため、残額については最終年度のまとめに向けて、まずはコンピュータなどの機器を整えるつもりである。状況が許せば、資料の最終確認のためフランスに調査旅行に行きたいと考えているが、実現可能かは今の段階では不明であることを記しておく。
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