研究課題/領域番号 |
18K01048
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
堀越 宏一 早稲田大学, 教育・総合科学学術院, 教授 (20255194)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 中世ヨーロッパ史 / 近世ヨーロッパ史 / ロレーヌ / 身分制議会 / 租税 |
研究実績の概要 |
バール=ロレーヌ公領の身分制議会の歴史を改めて検証する過程で、ロレーヌ公領三部会の起源が、1176~1179年の事件にまでさかのぼることを見出した。1176年のロレーヌ公マチュー1世 Mathieu Ierの没後、長男シモン Simonと次男フェリー・ド・ビッチ Ferry de Bitche の間で3年間に及ぶ相続紛争が発生し、最終的に1179年のリブモン Ribemont 和約により、シモン(2世)はかろうじて公位を保持するに至る。この交渉過程で、シモンは、家臣団の支持を得るために、1176年5月14日にゴンドルヴィル Gondreville においてロレーヌ公領家臣団の固有の権利を保証すると同時に、ロレーヌ公領三部会 Etats de Lorraine の創設を承認した。そこには聖職者も都市民代表も参加していないので、三部会という翻訳は適切ではなく、ロレーヌ公領の封建貴族の会合のようなものだったようだが、ロレーヌ公領における君臣間の勢力バランスが、すでに12世紀の段階で、家臣側に傾き始めたことが確認できる。バール伯領でも、1288年にバール伯チエボー2世 Thiebaut II(1291年没)が、サン・ミエル Saint-Mihiel に貴族集会を召集しており、これらを合わせて考えると、中世ロレーヌ=バール公領における家臣側の発言の機会が12~13世紀から確保されていたことが知られるのである。 フランス王国では、14世紀以降、王権による中央集権化と同時に、それまでの伝統的諸侯領が、急速にフランス王家の親王領に吸収されていくプロセスが見られるが、フランス王国とドイツ王国の東の国境を挟んで立地していたロレーヌ公領とバール伯領の場合、そのようなフランス・モデルが及ばず、14世紀以降も、独自の領邦制度形成が進んだように思われる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
2019年度には、2018年度から引き続いて、バール=ロレーヌ公領の古文書史料の大半が所蔵されているムルト・エ・モゼール県文書館(在ナンシー)が移転のために閉館されていたため、同公領の身分制議会と課税に関連する古文書史料に接する機会を持つことができなかった。さらに、2020年3月に予定していたパリの国立図書館に収蔵されている Collection de Lorraine 文書群の調査も、Covid-19 の影響で実施できなかった。このため、書籍、コピー、写真などの形で手許にある史料と研究文献を使った作業に限定されたことがその要因である。
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今後の研究の推進方策 |
1437年から始まるロレーヌ=バール公領三部会の主要機能は、援助金 aides 徴収に対する投票を行うことと、その割当て、徴収、支出を監視することにあった。その後、16世紀前半に至る時期における課税と三部会同意との関係を、ムルト・エ・モゼール県文書館所蔵の古文書史料に即して、具体的に追求することが今後の課題となる。
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次年度使用額が生じた理由 |
2019年度には、バール=ロレーヌ公領の古文書史料の大半が所蔵されているムルト・エ・モゼール県文書館(在ナンシー)の一時閉館に加えて、Covid-19 の影響があり、フランスでの現地調査が実施できなかったため、予定されていた海外調査費用の全額を使用することができなかった。 2020年度には、この海外調査の実施に研究経費の大半を割く予定である。
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