本研究は『常陸国風土記』の香島「神郡」建評記事に注目しつつ、「神郡」と通常の郡との違いを念頭に、古墳時代から奈良時代への地方行政区画の再編成がどのように行われたのかを探るものであり、その方法として、変化が激しいとみられる7世紀前後にどのような景観変化を起こしていくのか、「建評」前後の「神郡」にあたる鹿島地域、及び『常陸国風土記』において「神郡」が切り取られたと記される那賀国造の支配領域に注目して、7世紀前後の主要古墳と、郡家や里(五十戸、のちの郷)、地形等との位置関係を地図に落とし込み、分析したものである。平成30年度は香島「神郡」が分離された母体の一つである「那賀国」に注目し、のちの那賀郡域における古墳の動態や、建評の状況を探る調査を実施し、令和元年度は香島「神郡」建評時の地域集団の動向を把握するため、鹿嶋市厨台遺跡出土墨書土器「神厨」「鹿島郷長」について分析した。令和2年度は新型コロナウイルス感染症対策のため予定を変更し、那賀郡域での終末期古墳の把握、奈良時代への接続時期の周辺景観や墓域の利用状況を深く考察することに重点を移し、古代寺院推定地を眼下に納める大型終末期方墳の測量調査を実施した。翌、令和3年度は補足調査を実施しつつ、調査成果を公表するべく整理を進めたが、引き続き猛威を振るう感染症の対策を余儀なくされ、調査報告書の刊行を次年度に実施するよう計画変更した。以上の経緯により、令和4年度は本研究に係る調査成果をまとめ、研究計画書に記載した調査報告書について、『常陸国「建評」前後の古墳研究―鹿島・香取「神郡」成立前後の背景を景観復原からみる考古学的実証研究/研究代表 田中裕―』と題し、刊行し発送した。また、香島「神郡」に関する研究成果を「考古学からみた常陸の7世紀」と題し、鹿嶋市で開催された『シンポジウム飛鳥時代の鹿島―中臣鎌足と鹿島神宮、鹿島郡―』において発表した。
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