本研究では、正倉院文書所載の食器の器名を整理し、その器名群を同時代の平城宮・京出土土器に対比することで、奈良時代後半の東大寺写経所(奉写一切経所)における食器構成の復元をおこなった。そしてその結果、天平宝字年間(760年代)の東大寺写経所では、陶器(須恵器)の椀・片椀、羹坏、塩坏、盤の五器にくわえて笥(木製食器)の六器構成が用いられたと考えられることや、宝亀年間(770年代)には鋺形、片坏(土師器と須恵器の両方がある)、窪坏、盤の4種類が用いられたことを明らかにした。 平城宮・京出土土器にかんしては計量的研究をおこない、おもにその大きさで古代における実用食器の分類を再現した。そして、従来の考古学的分類を参照しつつも、基本的には古代の食器分類との対照を図り、土師器・須恵器のそれぞれで椀2種・杯(つき)2~3種・盤(さら)1種を識別した。 古代の器物がどう呼ばれたかを復元する研究(古器名研究)は先行研究が少なく、未知の部分がなお大きい。このため、土器(食器)をつうじての古代食生活の研究には、一定の限界があるといわざるをえない。しかし本研究は、先行研究の成果を更新しつつ、奈良時代における実用食器の分類を実証的に復元したという点において、重要な意義をもつものである。例えば本研究を通じて、須恵器の有台椀で大口径のもの(考古学的には杯BⅠと呼ぶ)が、古代の「麦椀(むぎまり)」という食器にあたり、それが麺食用の食器として用いられたことを明らかにした。このようにして、考古学における土器研究と、古代食生活の研究とを相互に連関させ、食器構成から古代の食を再現することが、本研究によって少しずつ可能となってきたのである。
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