研究課題/領域番号 |
18K01154
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研究機関 | 愛知大学 |
研究代表者 |
藤田 佳久 愛知大学, 東亜同文書院大学記念センター, 名誉教授 (70068823)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 東亜同文書院 / 東亜同文書院生の「大旅行調査」 / 日清貿易研究所 / 支那経済全書 / 支那省別全誌 |
研究実績の概要 |
昨年度は研究の初年度であり、今年度以降の研究のためにより基礎的な資料や関連資料の閲覧と収集を国会図書館等で積極的に行い、関連資料を吟味検討することから始めた。そのため直接的な業績は次年度以降に展開できるつもりである。 そんな中で、最も基礎的研究として本年度は「上海を初めて日本人に切り拓いた青年藩士たちと岸田吟香」というタイトルでの発表とその記録を発表した。発表誌は愛知大学東亜同文書院大学記念センター刊行の「(東亜)同文書院記念報」vol.27. 2019年3月31日刊行である。ここではタイトルが示すように日本人で幕末に初めて本格的に上海を訪れた岸田吟香と、幕府が青年藩士を集めて、貿易交渉を試みるために送った「千歳丸」乗組員の上海での行動記録を追ったものである。いずれも資料としては残されている日誌を用いた。岸田吟香は武士をやめたあとヘボンと日英辞書作成のために印刷工場のある上海へ渡った民間人で、すぐれた漢語能力を駆使して上海住民とコミュニティを短期間ながら形成し、その後、日清間の貿易事業も発展させた。一方、千歳丸の武士たちは到着早々、上海黄浦江の汚水を飲み多くが不調となり、4~5人のみが上海を徘徊できた。すぐれて積極的に動いた浜松藩の名倉阿予人と佐賀藩の中牟田倉之助は上海を十分観察し、成果をあげたが、帰国後有名になった長州藩の高杉晋作はほとんど出歩かず上海の観察も出来なかった。民間人の岸田吟香は明治以降ヘボンから吸収した目薬販売を上海でも行い、その後、日本初の国際商人になったが、藩士たちは上海での活躍に応じた処遇を受けていないことがわかった。日本人にはまだ国際性が不慣れな時代の状況が明らかになった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本年は1年目として予定した資料の確保とともに今年以降必要となる関連資料の収集につとめ、新たな資料を含めて新しく研究プランの検討も行った。予定した資料は東亜同文会刊行の『支那経済全書』全12巻と『支那省別全誌』全18巻である。巻数も多いため、とりあえず内容の再確認をするのに時間がかかっている。その一方、東亜同文書院の前身である日清貿易研究所(という学校)が荒尾精と根津一((はじめ))の手により編著された『清国通称綜覧』は明治25年と早い時期の刊行であるが、有意なデータも含まれていることがわかった。しかし、全3巻の2,000ページの大作なため、また個々の記述内容は日清間の貿易に関係して興味が湧くため、そのチェックに時間をとられた。しかし、このデータを活用することで清国の本来の姿に近い状況もわかるため前2者のシリーズ本との両用を行えば研究に時間的深みをもたらすこともわかった。そして前2者のシリーズは清国と最も貿易がさかんになり内陸部へも大きな影響を与えたことになった上海がある江蘇省をベースに検討をすすめつつある。さらに奥地への四川省はやがて上海とつながるが、当初はまだあまりオープンでない状況にあり、この両省と対照軸として今年(2年目)は動き出せるものと確信している。
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今後の研究の推進方策 |
1年目に研究をすすめる上での関係史料も十分とはいえないが揃いつつあるので、この2年目は予定した研究計画にしたがって進めていけると考えている。基本的には歴史地理的研究なので、既存ではあるがまだ利用されていない東亜同文書院生の手になる清国,民国の「大旅行」記録とそれに関連する個別卒業論文中の調査記録、そして『支那経済全書』では全12巻中、貿易、国内移出入、交通関係の巻を利用し『支那省別全誌』全12巻では予定した4地域類型中の対照的な2省の江蘇省と四川省を中心に比較しながらどのような契機と仕組で両省間にネットワークが出来るかを両省の間のいくつかの省も必要に応じて参入させ、また、新たな指標に通貨の広がり方も検討し、また開始されはじめた郵政のネットワークのかかわりも検討しながら清国末期から民国初期における近代化の動きと、それがもたらす地域形成について明らかにしたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
予定していた古書扱いの史料を購入することが出来ず、その額24,592円が次年度送りとなった。あらためてその史料、さらに関連史料を探したい。
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