本研究の目的は、健康の地理学(health geography)の新たな展開を目指す立場から、これまで十分に取り組まれてこなかった「化学物質過敏症」(chemical sensitivity)をめぐる地域環境問題を明らかにすることである。化学物質過敏症とは、身近な地域環境(農薬散布や工場の煤煙・排気ガスによる大気汚染など)に存在する化学物質(主に揮発性有機化合物)への曝露によって健康被害が引き起こされる疾病概念である。日本では2009年に病名登録された新しい疾患であり、その患者数は日本の成人で約70万人と推計されている。ただし、特効的な投薬治療がないため、多くの患者は現代の化学物質の溢れる地域環境によって、様々な身体的/精神的症状に苦しんでいる。 本年度は、化学物質過敏症に関わる文献調査(環境医学・社会心理学・公衆衛生学・地域看護学・室内環境学・臨床環境学など)を通じて、化学物質過敏症の特徴として①健康状態と疾病状態との境界線が非常に曖昧である、②症状が空間や場所などの地域環境に大きく左右される、③患者が身体的/精神的に「居場所」を喪失しており、健康の地理学の新たな展開にとって試金石となり得ることを確認した。とりわけ居場所は、あらゆる人間にとってその生の基盤となるように、人間の(身体的/精神的)健康状態と深く関連して形成される空間的概念であり、この意味で、患者がいかなる地域環境でどのように自らの居場所を構築しているのかを来年度以降検討することを導出した。
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