ニアセン教団の女性指導者(muqaddama)が最も多いのは、ニアセンの本拠地カオラックが位置するセネガルのサールム地方ではなく、2000年頃以降の首都ダカールである。女性指導者は各自が100人を越える男女の弟子を持ち、男性指導者(muqaddam)と同等の尊敬を受ける。ニアセン創始者であるイブラヒマ・ニアスの男性子孫は、ニアスが女性の地位を高めたことを強調し、彼が女性を指導者にしたことを「革命」と呼ぶ。セネガルの他のスーフィー教団は、指導者を男性に限るからである。しかしニアスの女性子孫によれば、ニアスが女性を指導者にした目的は、女性に女性を指導させて男女の隔離を厳格に行うためだった。ニアスは女性に指導者の免許を与えたが、当時の女性のほとんどはそれを秘蔵し、弟子を取らなかった。現在のサールム地方でも同様である。近年のダカールで女性指導者が活動するようになった背景に、移民の増加、宗教の自由、男性指導者の人数の不足がある。ダカールには各地の多様な民族が流入し、多様な教団がそれぞれ活発な布教活動を行う。また、個人は自由意志で教団を選ぶべきとされるので、学校や近隣で得た情報をもとにして、複数の教団の教義を比較検討した青年たちの中から、ニアセンへの加入希望者が出る。しかしダカールはニアセンの本拠地から遠く、人口に比して指導者の数が少ない。加えて、サールム地方の男性指導者の多くが農業や商業を営むのに対し、ダカールの男性には俸給生活者が多く、指導する時間を持てない免許所有者がいる。ニアセンの指導者は弟子を密に指導し、さまざまな集団的な儀礼や行事を主催する責任を負うのだが、指導は職業ではなく神に対する奉仕として行われ、収入には直接結びつかない。そこで、家族の扶養義務を負わない女性の免許所有者が周囲から乞われて青年たちを指導するようになり、彼らから「Yaay (お母さん)」と呼ばれ慕われる。
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