本研究は、帝政ロシア統治期(19世紀後半~20世紀初頭)の中央アジアにおけるイスラーム法とロシア法との並存の様相を明らかにすることを目的とする。当時の中央アジアでは伝統的なイスラーム法とロシア人が移入したロシア法が同時に運用されており、両者の管轄領域はトルキスタン地方統治規程によりロシア側が定めていた。しかし実際にはイスラーム法の領域をロシア法がしばしば侵食するなど、両者は複雑な関係にあった。そこで本研究では、ウズベキスタン共和国中央国立文書館に所蔵される、イスラーム法裁判について記録した法廷台帳と、ロシア法裁判について記録した法廷記録という二つの資料群を比較対照することで、その関係を解明することを目指した。研究期間中、同文書館において資料状況の調査を行った。特に重点を置いたのは、ロシア法裁判において現地ムスリムが被告となった事例、すなわちトルキスタン地方統治規程においてロシア法裁判で扱うべきものと定められた、殺人など重大事件に関する裁判である。サマルカンド州法廷記録におけるその種の案件のリスト化を進め、うちいくつかの案件については電子複写を入手して分析を進めた。その結果、イスラーム法裁判の判決がロシア法裁判により破棄される事例と合わせ、ロシア法は相当程度ムスリム社会にも適用されていたことが明らかになった。帝政ロシアの中央アジア統治は概して現地社会への関与に消極的であったという理解が一般的であるが、そのような理解は少なくとも法制史の面においては再検討が必要であるといえる。
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