当初は契約と奴隷労働との二重の労働供給システムを対象とする予定であったが、ローマではこれが自明であったこと、家(familia)を生活保障の場と捉えると自由人と奴隷との間に明確な差はなかったことが明らかとなったため、研究対象を解放奴隷へとシフトした。その結果、奴隷は解放された後も元主人の下に残り、その庇護と扶養を受けて生活を続けたこと、扶養義務は遺言によって元主人の相続人にも承継されたこと、さらに相続人と解放自由人との合意による扶養内容の変更には、とりわけマルクス・アウレリウス帝によって厳格な手続きが定められ、生活保障機能が公に強化されたこと、が判明した。
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