研究課題/領域番号 |
18K01469
|
研究機関 | 九州工業大学 |
研究代表者 |
八丁 由比 九州工業大学, 教養教育院, 教授 (90404095)
|
研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2024-03-31
|
キーワード | 国際連合憲章 / 人種平等 |
研究実績の概要 |
本研究は、戦後国際機関の構築に向けて検討し、貢献したキーパーソンに関する資料を収集し、これを分析することを主目的としている。このため、関係資料を保有する公文書館や大学図書館に赴き、資料を収集する予定であったが、継続する新型コロナ感染症による渡航制限を受け、特に大学図書館等での資料収集を行うことが困難であった。従って、令和4年度は、アメリカ国立公文書館アーカイブIIで入手済みの戦後構想に関するノッタ―ファイルの分析を引き続き行うとともに、調査対象とする時期を少しずらし、1945年のサンフランシスコ会議に関する、国内入手可能な資料を用いて分析を行った。国際連合憲章発表当時の日本における反応に関する調査もその一つで、牧野伸晃らの資料収集と分析を行った。牧野伸晃は、1919年のパリ和平会議の場で、日本政府の命を受けて、人種平等原則に関する文言を、国際連盟規約の前文に含めるよう働きかけたものの、成功しなかった経験を持つ。牧野を含む日本政府関係者が、国際連合憲章の第1条で人種についても「差別なく」と記されたことについて、どのように見ていたかについて調査している。 また、サンフランシスコ会議が開催された1945年ごろになると、アメリカ国内においても、人種の平等を含む人権に対する関心が高まっている様子がわかっている。そのことについての国務省の把握や理解、また、サンフランシスコ会議に参加するアメリカ代表へ強い働きかけを行った各種団体の考えや動向等についても調査を行っている。サンフランシスコ会議後、人権の問題は米ソ関係の悪化に伴って急速に冷戦の影響を受けるようになるが、ソ連と西側諸国の政治を差別化する意味でもよく言及されるようになる。1945年以降、世界人権宣言が発表される1948年ごろまで調査範囲を広げつつ、慎重に言動の中身を調査している。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
令和4年度はこれまでに収集した資料の整理と分析を行い、加えて、不足している収集を渡米して入手する予定としていた。しかし、コロナ感染症の流行を理由とした渡航制限と、本務校での業務増加により、計画通りに現地へ赴いて調査を進めることができなかった。令和5年度は、業務の合理化によって研究時間を確保し、また研究考察対象となる時期を少しずらすことで、資料の充実を図り分析を進める予定である。
|
今後の研究の推進方策 |
令和4年度は、ノッターファイルを中心に、これまでに入手できた文献を用いて国務省内の検討状況を調査してきたが、加えて、考察対象となる時期を少し後方にずらすことで調査対象を広げ、米政権に外側から影響を与えた各種団体に注目して研究を進めてきた。令和5年度も引き続きこれを行うとともに、可能であれば日本とオーストラリアの国連憲章への反応も検討する。オーストラリアは国際連盟規約への人種平等原則に強く反対したことがある。その四半世紀後に同類の文言が挿入されたことについて、何らかの反応を示しているか、示しているならば、どのようなものかを知ることで、人種平等原則に対する当時の認識について考察を行う。 令和5年11月に開催予定の日本国際政治学会において、研究発表を行う機会を得たので、これまでの研究成果について口頭発表を行い、他研究者からの意見を仰ぎ、考察を深める。また、令和5年度末までには、成果を学術論文として公表したいと考えている。
|
次年度使用額が生じた理由 |
令和4年度は米国での訪問調査を行う予定であったが、新型コロナ感染症の継続による渡航制限の為、海外旅費の多くを残すことになった。令和4年度は本研究の最終年度の予定であったが、1年の延長を申請し、認められたため、令和5年度に渡航が実現すれば助成金を使用することができる。予定している渡航が困難である場合は、対象人物や時期を少しずらし、電子化されている資料などを購入し調査を行う。
|