1910~30年代日本における農業技術普及の重要な側面に肥料投入の増加があった(速水 197)。しかし、速水は全国規模での窒素投入の変遷を明らかにしたのみで、各地域がその特性に応じて、肥料投入の在り方をどのように変えていたか、また、各農家、各郡、各県単で考察した場合、肥料投入にはどのような特徴があったかを明らかにはしていない。その際、窒素だけでなく、りん酸、カリウムの投入についても合わせて考察する必要ある。 化学肥料導入以前の農業での窒素循環は、ヨーロッパの農業についても研究が進められている。Guldner and Krausmann (2017) は、18世紀のオーストリアの所領において、農民たちが、人口増加、市場拡大の圧力に対して、化学肥料を用いない伝統的農法によって、地力を維持しながら対応したことを、農地での窒素循環を示しながら、明らかにしている。しかし、戦前日本の農業について、これに類似した研究は、管見の限り存在しない。 資料の残存状況などから、水稲生産地域である富山県・石川県、および大都市近郊で蔬菜等も栽培された愛知県を取り上げる。主に用いた資料は、農家経済調査、各県の肥料に関する調査、および各県の統計書である。それに、戦前期に出版された肥料に関する研究所、農民に対する農作業の手引き等も用いた。 これらの資料から、以下の点が明らかになった。(1)農家経済調査に示された各農業世帯の肥料投入は、窒素、リン酸、カリウムいついて、ほぼ当時、推奨された水準の投入を行っている。(2)各郡別にみた反当りの肥料投入には、ばらつきが見られ、肥料投入量は収穫量と正の相関関係が見られる。(3)肥料投入の実際の組み合わせ(有機肥料と無機肥料の割合、自給肥料と購入肥料の割合)は地域ごとに多様であり、各地域の経済状況や土壌の質に合わせて各農家が肥料投入法を工夫していた。
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