研究課題/領域番号 |
18K02163
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研究機関 | 聖学院大学 |
研究代表者 |
田澤 薫 聖学院大学, 人文学部, 教授 (70296200)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 保育 / 保育所 / キリスト教保育 / 吉見静江 / 興望館セツルメント / 恩物 |
研究実績の概要 |
1947年までの興望館セツルメントの保育事業を対象に、吉見静江館長(後の厚生省児童局保育課長)の関与、保育内容、保育事業の運営体制、児童の実態を探った。 1.保育内容:1923年12月以降で婦人宣教師達の関与とフレーベル主義に則ったキリスト教保育の実践が確認できた。1928年度以降の保育は、玉成保姆養成所卒業生達が担い、フレーベル主義の教具を利用した実践が保育日誌より確認された。一人一人の幼児の主体形成を軸とする関わりと幼児の成長が読みとれた。 2.運営体制:関東大震災後、吉見着任までの理事会の体制と運営実態を探り、東洋英和女学院史料室の協力を得てカナダ・メソジスト婦人宣教社団メンバーの積極的な関与が確認できた。同時期の年次報告書に興望館関連記事が皆無であり、理事会メンバーが篤志として興望館を運営したと考えられる。吉見は宣教師に日本語を教える「日語学校」教師として理事たちに出会い、興望館理事会は「帰国後は興望館の管理者になる」ことを約束し吉見を留学させたことを理事会記録より確認した。 吉見の着任年度の保育記録からは、吉見が保育に携わっていないことが確認された。一方で、保姆だけでは行われにくい日課変更等のカリキュラムマネジメントの動きが顕著にみられ、吉見の関与が示唆された。 3.児童の実態:「託児所入退所名簿」(1923年12月~1929年5月、337名分)、「卒業生名簿」(1928年度生~1947年度分で804名分)、「児童票」(1935年度以降の一部、659名分)から、きょうだいを探し出し、1260名988家庭の保育対象児童と家族について、生活実態、通園状況、入園目的等を整理した。その結果、セツルメント設置時の「最も悲惨な」という理事会の見解とは異なる家族像が明らかになり、独自性が顕著な家族の価値観に沿うセツルメントの姿勢を実践した興望館の関わりの特徴について確認できた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
コロナ禍のため、調査研究に制限があり、研究会が対面で行われず資料読解の途中段階において関連研究者との間で議論を重ねる機会を確保することには困難があった。 一方で、勤務先大学において6ヵ月の特別研究期間の適用を受けたことから、資料閲覧に集中することができ、主たる調査対象である「興望館セツルメント資料室」(社会福祉法人興望館)が人との接触を最小限度にして資料閲覧できる環境を整備して下さったこと、一部資料のデジタルデータ化を認めて下さったことから、資料調査が極めて順調に進んだ。 そのため、資料調査については当初予定通り実現し、研究作業はおおむね順調に進行した。
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今後の研究の推進方策 |
2022年度に予定しているのは、以下の研究作業である。 1.2021年度の研究成果として、興望館セツルメントの保育事業の検討から、戦前期から社会福祉・社会事業の領域で実践されたキリスト教保育においては幼児の主体形成が保育のねらいとされ、一人一人の幼児理解が実践の中に見取れた。このことを受けて、そうした保育の態様と戦後の児童福祉法下における具体化との関係性を探る。具体的には、キーパーソンである吉見静江の言説を再検討するとと共に、吉見課長時代の厚生省保育行政の公文書等の資料調査を行う。 2.1.の検証において、戦中期の保育現場の動揺と変質を考慮する必要がある。そこで、興望館セツルメントにおける戦中期の保育の実態を明らかにする。具体的には、興望館セツルメント資料室所蔵資料をもとに、1943年頃とみられる「幼児隣組」等の戦時保育の実態と、戦時託児所/疎開保育所の実態を探る。 3.戦前期の興望館セツルメントの保育事業で確認された幼児の主体形成に着眼された理念と方法論は、児童福祉法下で運営された戦後の全国の保育現場で継承/共有されたのか。児童福祉法のもとで行われる保育所の保育実践記録から検証する。
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次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナ感染症の影響により、2020年度以降は学会・研究会もオンラインによる開催が続いており、旅費等の費用が発生せず、残額が生じた。本研究を精緻に達成するため、資料調査の費用に充てる予定である。
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